2018年04月26日

沖縄に打ち込まれた“楔 ”

孔子廟差し戻し審の意義は
地縁血縁社会・沖縄に打ち込まれた“楔 ”


P1030993.JPG 若狭に今もある久米至聖廟「孔子廟」
【篠原 章(批評.COM)】 那覇市の松山公園にある久米至聖廟(しせいびょう)(孔子廟)で那覇市全面敗訴となった孔子廟差し戻し審。

 私はこの判決には法的な評価はともかく、「地縁血縁」に根ざした沖縄の社会構造と政治構造に対して、一定の楔(くさび)を打ち込んだところに社会的意義があると考えている。
 問題は、儒教的な価値観に基づく宗教的血族団体として沖縄でもっとも有力な久米崇聖会に対して、那覇市という地方公共団体(地方自治体)が「忖度」したことに端を発している。その忖度が不法に行われれれば「公共性」を損なうものとなることは明らかである。

 まして市民・県民・国民の納めた税を原資とする事業に関連して不法行為が行われ、公有財産の価値も毀損している以上、那覇市など沖縄県の行政は、血縁団体の政治的要請や政治的圧力に対して、今後はもっと毅然とした姿勢で臨む必要がある。

 もっといえばこの判決は、非近代的な地縁血縁関係を過剰に重視した伝統的な政治力学を許容している「沖縄社会」そのものを本質を問うきっかけとなる。

 簡略化すると、首里士族由来の出自を持つ那覇市長・翁長雄志氏(当時)が、久米士族由来の出自を持つ仲井眞弘多県知事(当時)などといった有力者が属する宗教的血縁団体に対して公有地を無償で提供した構図となる。いってみれば旧支配階級内部での馴れ合い行政の産物であり、王朝時代(封建時代)の支配構造を引きずった沖縄の時代錯誤を象徴するものだ。

 それは政治的保守派による行政の「私物化」でもなければ、政治的左派の支持を得た翁長雄志氏による中国派に対する優遇策でもない。久米崇聖会には仲井眞弘多元知事だけでなく、各界の人士が会員となっており政治的にはむしろ中立だ。

 今回の案件で政治的イデオロギーを問題とするのは間違いであって、最大の問題は沖縄に残る封建制の残滓が、県民や国民の諸権利・諸権益を踏みにじるかたちで露出したところにある。したがって、歴史的な観点からすると、那覇市の対応は、孔子廟設置に用地を無償で提供することにより、封建制下における久米人の特権的立場を復活させたことになる。
(4/17 FB:篠原 章(批評.COM)より抜粋)







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2018年04月25日

孔子廟は宗教的な施設?

孔子廟は宗教的な施設?
孔子廟訴訟、判決に那覇市が控訴へ
孔子廟.jpg
 那覇市の松山公園にある久米至聖廟(しせいびょう)(孔子廟)への土地の無償提供は憲法で定める政教分離に違反し、同市が使用料を請求しないのは違法とした那覇地裁の判決に対し、同市は福岡高裁那覇支部へ控訴する方針を固めた。(4/25 沖縄タイムス)

←那覇市有の松山公園にある久米至聖廟「孔子廟」

那覇地裁は久米至聖廟を宗教的な施設と判断

 那覇市の松山公園内に設置された久米至聖廟(孔子廟)の公園使用料免除の適否が争われた訴訟の判決で、那覇地裁は13日、久米至聖廟を宗教的な施設と判断した。

 原告代理人の徳永信一弁護士は「公有地で中国の祭事が儒教という形で行われているのは疑問だ」と指摘し、孔子を祭る儀礼が宗教的と問題にした訴訟の意義を強調した。一方で琉球史の専門家は歴史的背景を踏まえ「施設は文化的側面が大きい」と困惑。

 久米至聖廟は儒学の祖である孔子やその門弟が祭られ、正殿や琉球で最初の公立学校とされる「明倫堂」などで構成される。14世紀に中国福建省などから琉球に渡来し、琉球王朝の繁栄を支えた久米三十六姓が17世紀に久米村で廟を建立したのが始まり。18世紀には明倫堂が建設され、儒学教育が行われた。

 しかし至聖廟は沖縄戦で焼失。戦後は1975年ごろ、那覇市若狭の久米崇聖会所有地に再建され、2013年に久米地域にある松山公園に移転した。今でも地域に向けて論語の講座などが開かれている。

 琉球史が専門の田名真之県立博物館・美術館長は、これらの経緯から「中国の文化を沖縄に定着させた久米村の歴史自体が沖縄の歴史や文化と捉えられる」と指摘する。
(4/20 琉球新報より抜粋)


つづく:「地縁血縁社会・沖縄に打ち込まれた楔」





【酔駄言】☁ 20/24℃:0mm:夕方に最低気温、陽の目を見ないと意気上がらず

 孔子廟は旧若狭時代も新設された久米の松山公園も観た。若狭の孔子廟は波上宮の東手前にある護国寺に隣接、久米松山は市立福州園に隣接の市有地に建てられた。しかし、旧若狭の久米崇聖会施設は残存している。

 若狭の施設は久米人の私有地だが一般にも開放されていて見学は自由だったが、市有地に建てられた新孔子廟は四周が柵に囲まれていて、正門も閉じられているので見学ができない。これでは逆ではないか?

 まぁ、新旧の孔子廟に関してはとかく問題が報じられていたが、ボクの関心は訴訟問題でなく久米帰化人と琉球王府の係わり合いにあり、久米人末裔の仲井眞前知事と、王府士族末裔の翁長現知事との古今の琉球/沖縄権力構造にある。


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2018年04月24日

絶滅危惧種コウモリ

ヤンバルで絶滅危惧種コウモリ発見
京大(返還された)旧米軍訓練場で確認


ヤンバルホオヒゲコウモリ.jpg
(MBS)

 京都大大学院情報学研究科コウモリ生態学のチームは23日、沖縄本島北部で米軍から2016年12月に部分返還された旧北部訓練場で、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定されているヤンバルホオヒゲコウモリを確認したと発表した。1996年に発見された固有種で、これまで沖縄本島と鹿児島県の徳之島、奄美大島で数個体しか報告例がなかった。

ヤンバルホオヒゲコウモリ2.jpg
(MBS)

   確認場所は沖縄県国頭村のやんばるの森で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界自然遺産の候補地になっている。チームは今年2月中旬から約1カ月、コウモリの調査を実施。2月20〜27日にかけてオス3匹を捕獲した。いずれも羽を広げた体長が16〜18センチ、体重4〜5グラム。2匹に発信器を付け追跡調査したところ、川のそばの木の洞をねぐらにし、1平方キロメートルの範囲で生活していた。

ヤンバルホオヒゲコウモリ3.jpg

 確認した日系米国人で博士課程2年のジェイソン・プレブルさん(26)は「今回の確認場所は(96年の)発見の場所とほぼ同じで、米軍訓練場が保護区のような役割を果たしていたと言える。詳しい生態を明らかにして保護につなげたい」と話した。

 生態はほとんど分かっておらず、今回得られたデータを基に解明していくという。鳴き声を録音し公開した。96年に米軍の依頼で発見した松村澄子・元山口大大学院准教授(動物行動学・音響行動学)は「最初の発見以降も北部訓練場内で見つかったという話は聞いていた。今回の確認が詳しい生態解明につながれば」と期待を寄せる。
<4/24 毎日新聞)





【酔駄言】☁(/☂) 22/28℃:20mm:曇天のち夕方から雷雨、全天に雷光はしる

 沖縄で最大の面積を専有していた米軍の北部訓練場が、半分も返還されほとんど手付かずのヤンバル森林が戻ってきた。ジャングル訓練基地やヘリパッドを除き原始の自然が遺されていて、世界遺産の候補地に組み入れられている

 北部訓練場はヤンバルを横断する県道2号線を除き、米軍の管理下で林道/農道が許可されず荒廃を免れた。訓練場外のヤンバルは縦横無尽に林道/農道で切り刻まれていて、自然が破壊され世界遺産の対象外となっているようだ

 北部訓練場にはヤンバルクイナやノグチゲラなどに加えて、本文のヤンバルホオヒゲコウモリなど絶滅危惧種の貴重な動植物の宝庫だ。米軍の基地のうち海岸沿いを専有する地点では、かなりの手付かずの自然が遺されているのは功罪であろう


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2018年04月23日

ど根性パパイヤ

ど根性パパイヤ
えっ…こんな所からにょっきり タフなパパイア、側溝育ち


どこんじょパパイヤ.jpg
 嘉津宇集落近くにある農道の側溝の穴からパパイアが自生し、枝を伸ばしている

 側溝は深さおよそ30センチ、幅およそ30センチのコンクリート製。高さおよそ1メートルに育ったパパイアは、側溝の壁にある直径約5センチの水抜き用の穴に根を張り、道路に顔を出している。

 昨年、側溝で育ったパパイアを見たという同区の古波英男さん(70)は「パパイアは恐らく鳥の媒介によるものと思う。最初に発見したときは30センチぐらいだったが大きくなった」と笑顔で話した。

 隣の穴からはクワズイモ(サトイモ科)も負けじと茎を伸ばしている。
(4/18 沖縄タイムス)





【酔駄言】☁|☀ 22/27℃:0mm:雲の切れ目から時折り陽が射し青空が現れる

 沖縄は亜熱帯のせいで植物の成長が早い。身の回りでも植生は豊かで庭木も繁茂している。壺屋は琉球石灰岩の丘陵地だが下水道は100%、しかし、雨水の流下経路は複雑でスージグヮーの裏路地を縦横に縫っている。雨水と下水は違うことは知っていたけど

 雨水の側溝にも流下量に差異があり淀んでいるところもある。そんな側溝や会所(集水桝)には必ず雑草が旺盛に繁茂している。町民会で定期的に浚わないと大変なことになる。しかし。そんな淀みはジンジン(ホタル)の生息場所なので痛し痒しだなぁ


ラベル:パパイヤ
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2018年04月22日

泡盛壺瓷はアラヤチ

泡盛壺瓷はアラヤチ
泡盛固有の飲酒文化(4)-2:小泉 武夫


南釜.jpg
フェーヌガマ(南釜)はアラヤチ(荒焼)の釜

 琉球王国の正史として編さんされた歴史書『球陽』によると、尚貞王の時代の1682年の項に「昔、壺屋は美里の知花と首里宝口、那覇湧田の3カ所にあり、その陶窯を牧志村の南に移し、合併させた」とあり以後、琉球陶器の一大生産地となったのが今の国際通り近くにある壺屋焼物(やちむん)街である。

 泡盛の歴史と共に歩んできた壺屋焼には上焼(うわやち)、荒焼(あらやち)、カマグヮー焼、アカムヌー(素焼き)の4種があり、保水性の確保のため上薬を塗った上焼は日用雑器として、上薬のない荒焼は泡盛容器として現在もよく用いられているものである。

 家庭で用いられている泡盛貯蔵用の壷屋焼の壺や甕(かめ)は、独特の風格を持っていて、釉(うわぐすり)のかかっていない荒焼である。すんなりとしたスマートなものから、やさしい曲線で作られた豊満なものまでさまざまあって見る者を大いに楽しませてくれる。

 荒焼なので、壺に泡盛を入れると、壺の内側の肌に露出している金属イオン(マンガン、マグネシウム、カリウム、カルシウム、鉄、リンなど)と泡盛の成分が接触し、そこで物理化学的熟成反応が起こり、酒は壺の中で一層マイルドな味へと育っていくのである。

 世界中のほとんどの蒸留酒は木の樽(たる)に貯蔵する中、ひとり泡盛はこのような荒焼の土器に入れるのは珍しく、しかも家庭で、貯蔵中でも確実に熟成していくというのは、他に例のない固有の技法である。

 琉球のかなり多くの家庭には、昔から泡盛貯蔵用の甕や壺が囲ってあって、そこで酒を育てて楽しんでいく風景は、世界中どこへ行っても見られない事である。


        東釜.jpg
            アガリヌガマ(東釜)はジョウヤチ(上焼)の釜、重文新垣家と東釜(右側)

 小泉 武夫:1943年、福島県小野町生まれ。東京農業大卒。農学博士。専門は発酵学、食文化論。東京農業大名誉教授のほか、琉大など五つの大学の客員教授を務める。「琉球料理と泡盛」の世界遺産登録推進委員会副会長

 おわり(4/5 琉球新報)





【酔駄言】☂ 21/24℃:19mm:ヤマトゥでの30℃以上に比べてヒンヤリベタベタ

 壺屋は統合時からアラヤチ(荒焼)が優勢で、統合宗家のナナチネー(七家)も荒焼窯が過半数を占め、ジョウヤチ(上焼)窯は劣勢だったようだ。上焼は釉掛け/上絵付けの工程上、一度焼きの荒焼に比べ手間と時間がかかり、コストもかさみ士族向けの食器が主であったようだ。

 一方、荒焼は泡盛や水/油/食料の貯蔵用で大型の瓷/壺が主で、需要も多く壷屋焼の製品の大半を担っていた。しかし、戦後のプラスチック容器の普及で需要を失い、上焼に主客を奪われほとんどすべての荒焼窯は上焼窯に転向した。

 上焼の沖縄ならではの奔放な上絵や色彩が、民芸運動の機運とともに評価され、今日ではガス釜の壺屋に荒焼窯はない。統合時の王府拝領窯/屋敷のうち荒焼窯跡はフェーヌガマ(南窯)であり、ジョーヤチ(上焼窯)はアガリヌガマ(東窯)が復元されている。


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2018年04月21日

世界一小さい盃

世界一小さい盃「チブグァー」
泡盛固有の飲酒文化(3)-3/(4)-1:小泉 武夫


嘉瓶チブグァー.jpg
右:嘉瓶 左:チブグァー

 琉球王国の正史として編さんされた歴史書『球陽』によると、尚貞王の時代の1682年の項に「昔、壺屋は美里の知花と首里宝口、那覇湧田の3カ所にあり、その陶窯を牧志村の南に移し、合併させた」とあり以後、琉球陶器の一大生産地となったのが今の国際通り近くにある壺屋焼物(やちむん)街である。

 泡盛の歴史と共に歩んできた壺屋焼には上焼(うわやち)、荒焼(あらやち)、カマグヮー焼、アカムヌー(素焼き)の4種があり、保水性の確保のため上薬を塗った上焼は日用雑器として、上薬のない荒焼は泡盛容器として現在もよく用いられているものである。

 (3)-3「嘉瓶(ゆしびん)」は御慶事のときに使われる酒器である。独特の瓢箪(ひょうたん)型の形は、脇に抱えて持ち運びやすいようにしたためとも言われ、とても品位の高い曲線に高貴な美しさが加わって、位の高い王族や貴族、那覇の旧家で使われたものだといわれている。

 (4)-1「チブグァー」はおそらく世界一小さい盃(さかずき)であろう。私はこれまで世界中の酒器を見てきたが、泡盛飲酒専用の盃であるチブグァーより小さいものは知らない。手のひらに握り隠すことができるほど小さく、最小のものでは口径2センチメートル、高さ2・5センチメートル程で、その容量は3〜5ccぐらいではあるまいか。

こんな小さな盃で酒を飲めというのではなく、貴重な古酒なのだからじっくりと少しずつその香味を味わって、舐(な)めるようにして泡盛を楽しめ、というものなのである。この酒器も、琉球人特有の粋さと酒器を観賞する美的感覚がもたらした器だと私は思っている。


        P1060980.JPG
            カラカラやぐい呑に混じってひときわ小さいチブグァー(2段目左から3つ目)

 小泉 武夫:1943年、福島県小野町生まれ。東京農業大卒。農学博士。専門は発酵学、食文化論。東京農業大名誉教授のほか、琉大など五つの大学の客員教授を務める。「琉球料理と泡盛」の世界遺産登録推進委員会副会長

 つづく(4/5 琉球新報)





【酔駄言】☁/☂ 22/26℃:3mm:日照ゼロで午後から小雨、湿度が高くウエットな一日

 チブグァーは2つもっている。盃は1つでいずれも壷屋焼だ。ぐい呑は10余もあり購ったものの他に自作が8つほど残っている。陶芸道場でぐい呑に挑戦しナン10も作ったが、ほとんど出来損ないで廃棄した。いま愛用しているのは出来損ないだが愛しいもの。

 当初から泡盛用に作っていたが、いつのまにか芋焼酎用になっている。どちらも25度をストレートでチビチビやっていたが、泡盛や焼酎はアルコールそのもので、味わいに乏しく鹿児島の芋焼酎に切り替えた。いずれも安酒なので味には期待できないなぁ・・・


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2018年04月20日

平安座島サングヮチャー

サングヮチャー
平安座島恒例の伝統行事

サングヮチャー1.jpg 大きな魚の形をしたみこしを担いで海を渡る、平安座島恒例の伝統行事、「サングヮチャー」が行われました
サングヮチャー2.jpg サングヮチャー」は、漁業が盛んなうるま市の平安座島で、大漁と海の安全を祈願し毎年、旧暦の3月3日から3日間行われています
サングヮチャー3.jpg 中日の19日は、集落の通りに地元の人たちが集まり、太鼓や手拍子に合わせて大漁を願う歌を歌ったあと、代表の女性がお供えの魚をもりで突き指し、踊りを奉納しました
サングヮチャー4.jpg このあと地元の中学生が大きな魚の形をしたみこしを担ぎ、ひざまで海に浸かりながら、島の東側にある「ナンザ」と呼ばれる大きな岩を目指しておよそ700メートルを歩きました
サングヮチャー5.jpg そして岩の上で、「太平洋の魚の群れが島に押し寄せて、どうか大漁をもたらしてください」と祈りのことばを捧げ、お供え物のタコを参加者全員で食べました
サングヮチャー6.jpg 平安座自治会の五嶋眞智子会長は「島にとって海はかけがえのない大きな財産です。これからもみんなで海を守っていきたいです」と話していました
ニュース映像はこちらから
(3/20 NHK沖縄)
サングヮチャー7.jpg サングヮチャー8.jpg


【酔駄言】☀ 20/25℃:0mm:今からGWにかけての平年気温、明日から2℃ほど高くなるとか

 一昨日の旧暦3月3日は「はまうり(浜下り)」で女性方の海のひな祭り。琉球/沖縄の平民百姓は王府に年貢を収めるため、女子供も年中無休で働いていた。そんな女衆に数少ない休息日の一つとして、女性だけの特権としてごちそうを作り浜辺に集まったのが浜下りだった

 干潮の浜にごちそうの重箱を並べ、女性祭祀を筆頭に祈りを捧げ、浅瀬に手足を浸し家内安全を願ったという。しかるのち浜辺で女たちだけでごちそうをいただき、つかのまの休息を楽しんだが、ついでというか浅瀬のイノーで魚介を採り家庭の糧としたのは女の性であろう


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2018年04月19日

カラカラと鳴る酒器

カラカラと鳴る酒器
泡盛固有の飲酒文化(3)−2:小泉 武夫


カラカラ.jpg
 琉球王国の正史として編さんされた歴史書『球陽』によると、尚貞王の時代の1682年の項に「昔、壺屋は美里の知花と首里宝口、那覇湧田の3カ所にあり、その陶窯を牧志村の南に移し、合併させた」とあり以後、琉球陶器の一大生産地となったのが今の国際通り近くにある壺屋焼物(やちむん)街である。
 泡盛の歴史と共に歩んできた壺屋焼には上焼(うわやち)、荒焼(あらやち)、カマグヮー焼、アカムヌー(素焼き)の4種があり、保水性の確保のため上薬を塗った上焼は日用雑器として、上薬のない荒焼は泡盛容器として現在もよく用いられているものである。

 代表的な酒器が「カラカラ」である。奄美や鹿児島のカラカラ、熊本のガラといった酒器もよく似た酒器であるが、これは琉球から伝播(でんぱ)したもので、本家本元は琉球なのである。

 泡盛の酒席には欠かせない酒器で、どっしりとした姿は安定していて使いやすく、琉球の人たちが最も長く愛用してきた注酒器である。空になったものを振ると、カラカラと音がするのでこの名が付いたという。

 なぜ音が出るかというと、まず胴体を轆轤(ろくろ)を回して作ってから注ぎ口を胴に張り付けて、接合部を切除してから穴を開けるが、切除部分が胴の中に残り、酒がなくなるとカラカラと音を立てるのだそうだ。

 沖縄以外に名の由来を示す語がないので、この酒器は琉球から本土の焼酎圏に伝えられたものである。


 小泉 武夫:1943年、福島県小野町生まれ。東京農業大卒。農学博士。専門は発酵学、食文化論。東京農業大名誉教授のほか、琉大など五つの大学の客員教授を務める。「琉球料理と泡盛」の世界遺産登録推進委員会副会長

 つずく(4/5 琉球新報)





【酔駄言】☀ 19/26℃:0mm:雲ひとつない快晴に誘われて与儀公園に、手前の小学校校門で火焔木、公園でデイゴの花をパチリ。どちらも沖縄のアカバナー(赤花)の一つ、もちろん代表のハイビスカスやブーゲンも咲き誇り、沖縄はうりずん/わかなつ一色。

 公園の向こうに赤十字病院が見えていて、来週には2ヶ月に1回の呼吸器内科の経過観察だが、ハシカの流行で医療機関内感染も報道されているので、処方薬もまだ1ヵ月以上残っているし体調も良いので、1ヵ月延期をしてもらおうかと、食品スーパーへ。

 帰路に1本道を逸れやちむん通りの東入口、ひめゆり通りのアガリヌカー(東の井戸)から、陶器店を冷やかしながら育陶園本店で本文の酒器をパチリ。久しぶりに炎天下を1時間以上も歩き回り、軽い熱中症なのかめまいと疲れを感じた。


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2018年04月18日

抱瓶 類のない形

抱瓶(だちびん) 類のない形
泡盛固有の飲酒文化(3)-1:小泉 武夫

抱瓶.jpg  琉球王国の正史として編さんされた歴史書『球陽』によると、尚貞王の時代の1682年の項に「昔、壺屋は美里の知花と首里宝口、那覇湧田の3カ所にあり、その陶窯を牧志村の南に移し、合併させた」とあり以後、琉球陶器の一大生産地となったのが今の国際通り近くにある壺屋焼物(やちむん)街である。
 泡盛の歴史と共に歩んできた壺屋焼には上焼(うわやち)、荒焼(あらやち)、カマグヮー焼、アカムヌー(素焼き)の4種があり、保水性の確保のため上薬を塗った上焼は日用雑器として、上薬のない荒焼は泡盛容器として現在もよく用いられているものである。

 世界中でここしかないといわれる、とてもユニークな形をしたのが有名な「抱瓶(だちびん)」である。泡盛を入れ、肩につるして使用する携帯用の酒瓶で、表面が曲線状の三日月形と、表側を三つに面取りした面取り形とがある。

このような形を成し、持ち歩くといった用途も兼ねた酒器は琉球以外世界中のどこを探してもなく、泡盛と連動した固有の酒器である。構造は先端に注口、上部中央に泡盛入り口、外面に続く両側にひもを通す耳があり、酒器全体が曲線を持って腰に密着するように湾曲している。

 現存している抱瓶には、荒焼は確認されてなく、すべて彩色された美しい上焼である。このことは、古くからあった酒器ではなく、比較的新しい時代のものだと見られている。全体が赤や緑、青などで彩色されたり、絵が彫り込まれたり、近年は美術品としての価値も高まってきている。
 この抱瓶の分布は首里や那覇には少なく、反対に地方に多いことから、昔は豪農たちが山野の巡回や猟、花見、観月、競馬、古武道観戦などへ行くときに携帯したようである。

 文献によると、豪農たちは競い合って壺屋に立派で美しいものを特別に注文したので、その当時の名器が今でも多く残っているとのことである。依頼された陶工たちは、技術的にも釘(くぎ)彫りや象嵌(ぞうがん)、染め付け、練上手(ねりあげて)、流し釉(うわぐすり)などの技法を加え、どんどんと進化させていったという。
 そして豪農たちは気に入った抱瓶を持ち寄って「抱瓶勝負(ダチビンスーブ)」を行ったというから、熱の入れようはすごい。


 小泉 武夫:1943年、福島県小野町生まれ。東京農業大卒。農学博士。専門は発酵学、食文化論。東京農業大名誉教授のほか、琉大など五つの大学の客員教授を務める。「琉球料理と泡盛」の世界遺産登録推進委員会副会長
 つずく(4/5 琉球新報)





【酔駄言】☀/☁ 18/23℃:0mm:まだ平年より2℃ほど低くやゝひんやり

 壺屋の陶工(出身の読谷も)で抱瓶を作ったことがない人はいないだろう。やちむん通りでもほヾ全店で抱瓶を展示・販売している。抱瓶のユニークな形はロクロで挽けず、タタラ技法による陶板を組み合わせる。陶工により曲線を強調したり角型に整形したりするが、どちらも内側は人の腰にフッィト刷るように凹型だ。まぁ、今は生花の花入れが主な使い方になっている。


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2018年04月17日

自分の机「できた」

自分の机「できた」
国頭村の全7小学校の新1年生36人が組み立て
地元木材、6年間使用し卒業時に持ち帰り


自分机.jpg
学童机を組み立てる親子と手伝う森林組合の職員ら
国頭村立奥間小学校体育館
 国頭村内全7小学校の新小学1年生36人が2日、奥間小学校に集まり、小学校の6年間自身が使用する木製の机を組み立てた。

 村の自然を大切にする心を育てるとともに、地元の産物を知り物を大切にする習慣を身に付けることなどが目的。児童らは、保護者や祖父らと一緒に楽しそうに組み立てていた。

 「机の素材には軽くて丈夫で、成長の早いウラジロエノキを使用。製材された木材には乾燥技術が施され、成長に合わせて高さを調整できる作りとなっている。

 この取り組みは、村教育委員会が2003年4月から実施しており、今年で16年目。机は卒業時に贈呈され、自宅に持ち帰り、それぞれが用途を考えるという。贈られたのは延べ765人となっている。

2日は国頭村森林組合の職員らが個々に指導をしながら組み立てを手伝った。会場には「苗木」「正木」「収穫」「製材」「乾燥」などの行程が分かりやすく説明されたパネルや、製材されたウラジロエノキの板も展示され、親子が一緒に眺める姿が見られた。

 園原實教育長は「これから6年間使っていくが、物を大切にする心を育ててほしい。そのことが心優しい子どもに育つことになる」とあいさつし、児童らや保護者らを激励した。
(4/15 琉球新報)





【酔駄言】☂ 17/18℃:17mm:日中は那覇の最も低い1下/2上旬の気温とか、湿度も90%前後と寒くてウエットな一日

 久しぶりにいただいたコメント、「流行り言葉のうりずんで乗り越えましょう〜 うちなんちゅは、一切使わないですが」。そうなんだ「うりずん」は移住者や県外人間の流行り言葉なんだなぁ。昔は使われていた島言葉なのか新しい言葉か? 移住者にとっては島言葉に大きな関心がある。

 移住して8年目だが地元の人達とは標準語でしか話したことがない。町民会の役員会も会議は標準語だが、会議後の懇談会はアルコールと島言葉で、さっぱり聞き取れずチンプンカンプンだった。両隣の席の人らとは気遣ってくれて標準語で会話をしてくれた。ボクはもちろん活字では知っているが話せないし・・・


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2018年04月16日

ヤツガシラ飛来

ヤツガシラ飛来
春を告げる鳥、宮古島に


ヤツガシラ.jpg

 春を告げるヤツガシラ(ヤツガシラ科)がこのほど、平良狩俣地区で確認された。世界で一科一種の珍鳥。

 ヤツガシラは東南アジアなどで冬を過ごし、中国などで繁殖する。毎年春・秋の渡り時期には宮古島に立ち寄る常連の旅鳥。

 雌雄ほぼ同じ色。黒くて細長いくちばしは下に曲がっている。頭部や背、胸は橙褐色。翼と尾の黒褐色と白色の模様が目立つ。成鳥は全長28a。

 頭の冠羽は通常は閉じている。急に驚いたり緊張したり、降り立った時には冠羽は扇状に開く。その時の姿は凜々しい。
(4/16 宮古毎日新聞)





【酔駄言】☁/☂ 17/22℃:4mm:午後から霧雨混じりで夕方から☂

 「春告鳥(はるつげどり)」といわれる鳥がいることは知っていたけど、ググってみたら、Wikiで山口百恵のアルバムがヒットした。チャウヤンケーとさらにググったら『ウグイス』のことだった。こちらは渡りをせずに初夏から繁殖でよく鳴くらしい。

 沖縄のニュースではヤンバルクイナ以外は、時々鳥の話題が出るけど報道されるほど珍しいのかなぁ? たしかに那覇での行動半径内では鳩や雀ぐらいしか見かけない。カラスがいないのは生ゴミが散らかされないのでありがたい。最近は窓から見える範囲内でスズメが激減しているようだ。


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2018年04月15日

クバ笠を巣に子育て

クバ笠を巣に子育て
クバ笠を巣に 国頭・奥で子育て ホントウアカヒゲ

ホントウアカヒゲ1.jpg  国頭村奥の宿泊施設「空の間 INDIGO」の台所につるしていたクバ笠に、ホントウアカヒゲが巣を作り子育てに奮闘している。

6日、アカヒゲのつがいが幼虫などの餌をクバ笠(がさ)の中の巣に運び、子育てする姿が見られた。

 雄と雌が交互に巣穴を行き来し、懸命に新たな命を育んでいた。時折、餌をねだるヒナの「チチチチ」という鳴き声が響いた。

 施設を運営する柴田望さん(38)によると、3月上旬から草をクバ笠の中に運び始め、3月末にはヒナの鳴き声が聞こえてきたという。

 「斜めにつるしてあるクバ笠の中に作ったのはびっくりした。たまに台所に落ちたご飯を拾いに来る。安心して台所で子育てしてほしい」と笑顔を見せた。
(4/7 琉球新報)





【酔駄言】(☂/)☁(/☂):24/17℃:12mm+:夕方に最低気温

 シーミー(清明)の末候を迎えうりずんも終わり、間もなくククゥー(穀雨)を迎え若夏とはいえ雨季が近づいてきた。ハルサー(畑人)にはうれしい雨だろうが、引きこもり独老にとっては鬱陶しい季節。青空が見えないと生きていくモチベーションがダウンするよなぁ・・・


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2018年04月14日

薬学部創設署名活動

薬学部創設署名活動
全国一薬剤師が少ない沖縄


 薬剤師不足解消のため、沖縄県内に薬学部を―。県内の国公立大学への薬学部・学科の創設を求め、県薬剤師会が県医師会、県歯科医師会、県看護協会と連名で1月から署名活動を行っている。

 署名期間は当初、3月末を予定していたが、4月末まで延長した。沖縄には薬剤師養成の大学はなく、人口10万人当たりの薬剤師数が全国で最も少ない。同会は学部創設で人材確保だけでなく、さまざまな効果があると賛同を呼び掛ける。

 「かかりつけ薬剤師が地域で活躍すれば、病気を防いで医療費を抑えられる。超高齢社会を迎えると、役割はますます大きくなる」。県薬剤師会の亀谷浩昌会長が強調する。国は、高齢になっても住み慣れた地域で暮らし続けられるよう「地域包括ケアシステム」の構築を進める。薬剤師の役割は重視されるものの、県内では慢性的な人材不足に悩まされている。

 厚生労働省によると、2016年12月末時点で、人口10万人当たりの薬剤師数は全国平均が181人に対し、沖縄は134人と最も少ない。同会は薬剤師を対象に無料職業紹介を実施しているが、求職に訪れる人は慢性的に少ないという。

 責任者の大城喜仁さんによると、県出身者が県外大学を卒業し薬剤師になると、そのまま本土で就職するケースが多い。大城さんは「ここ10年は特に人材不足で、離島や本島北部地域はさらに深刻だ」と危機感を募らせる。

 国公立にこだわるのは、経済的な負担を考慮しているためだ。亀谷会長によると、私立大の学費は6年間で平均1200万円にもなる。一方で、国公立大はその3分の1以下といい「県外からも優秀な人材が入り、県内の研究水準向上にもつながる」と期待を寄せる。

 県も、人材不足の認識を持つ。県議会2月定例会で、県内に薬剤師を養成する大学がないことを問われ、県保健医療部の砂川靖部長は「薬学部設置は、薬剤師不足解消のための一助となる可能性がある」と答弁。県薬剤師会などの動向を注視し、課題の洗い出しをしていく考えを示した。
(4/9 琉球新報)





【酔駄言】☀/☁ 23/28℃:0mm:春に三日と天気なくと言われるように周期的に曇天が

 沖縄には医大が1つしかない。国立の琉球大学だけだ。そして琉大にも薬学科はないとは知らなかった。ということは沖縄の薬剤師はすべて他府県の薬学出身者。まさか信じられない後進県だ。看護大はあるので看護師は地元で養成しているが、薬剤師数は全国で最下位とは・・・


ラベル:薬剤師 薬学部
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2018年04月13日

タラマバナ収穫期

タラマバナ(ベニバナ)収穫期
鮮やかな色、島の特産品、多良間村

タラマバナ.jpg

 多良間村の村花タラマバナ (ベニバナ) が収穫最盛期を迎えている。 たらま花保存会が村内各地で栽培している畑では紅色や黄色、 オレンジ色の鮮やかな花を咲かせており、 年々その面積も増えているという。 収穫したタラマバナは染料やお茶などに加工していく。

 ベニバナはエジプト原産とされ、 日本にはシルクロードを経て4〜5世紀に伝わったとされる。 多良間島では琉球王府への貢納品として栽培されてきた。 花は最初に黄色、 続いてオレンジ色に変わり、 最後は紅色になる。 日光を浴びるとトゲが硬くなるため収穫は早朝から行われる。

 同保存会では収穫した花を染料の 「紅餅」 に加工する。 何度も水洗いした花弁を数日間発酵させ、 杵でついて団子状にした後、 天日で乾燥させる。 根気のいる手作業で染料は花弁の重量の10%ほどしかできないが、 黄色やピンク、 紅色など多彩で鮮やかな染めができるという。
(4/7 宮古新報)





【酔駄言】☀(/☁/☂) 20/28℃:0mm:予報に反して☀ 夕方に一時ミスト

 今日は13の金曜日、16年前の今日も13の金曜日だった。その日の朝に妻が逝った。それから16年、移住してから8年。老残の身を壺屋の終の棲家に置いている。温暖な沖縄で終の来るまで、静穏な日々を送っている。今朝、位牌を拭って木の芽を活けた。


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2018年04月12日

私は浪費家 沖縄1位

私は浪費家 沖縄1位
お金意識調査 「自分へのご褒美」も2位


浪費家1.jpg
   沖縄県民は日本一の浪費家?

 ソニー生命保険がまとめたお金に関する都道府県別の意識調査によると、沖縄県は44%が「自分は浪費家だと思う」と答え、回答者の割合が全国一高かった。

 一方で「お金をかけるものとかけないものを決めている」との回答も45%と最多で、めりはりを付けてお金を使っている姿勢もうかがえた。逆に「倹約家だと思う」との回答は、沖縄県全体で47%。トップの大阪府とは21ポイントの差があった。

 逆に「倹約家だと思う」との回答は、沖縄県全体で47%。トップの大阪府とは21ポイントの差があった。さらに「現在の貯蓄額」も青森県に次ぐワースト2位。貯蓄額の少なさの裏返しか、「頑張った時は自分へのご褒美を買う」との回答が、沖縄県は全国2位の27%に上った。

 調査は昨年11月にインターネットで実施。各都道府県から100人(20〜59歳)ずつ、計4700人の回答を得た。
(4/8 琉球新報)

浪費家2.jpg





【酔駄言】☀/☁/☂ 21/28℃:50mm:6月上旬の気温、北部では今日も大雨

 沖縄県人は所得水準が低いためか、金銭の使い方が極端に偏っているようだ? 昔から金持ちほど倹約をし貧乏人ほど金遣いが荒いというが、ケチケチ貯めてもロクスッポ貯まらないから、エイヤっと遣ってしまうのかも知れないなぁ・・・


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2018年04月11日

ヒメボタル乱舞

西表島でヒメボタル乱舞
森の中 幻想的な光 「ヤエヤマヒメボタル」


ヤエヤマヒメボタル.jpg
幻想的な光を放つヤエヤマヒメボタル
9日午後7時45分ごろ、西表島白浜(3分間露光)

 西表島ではヤエヤマヒメボタルが見ごろを迎えている。ヤエヤマヒメボタルは、体長5_ほどの日本最小のホタルで、9日は日没後の午後7時30分ごろから、輝き始め約30分間、光のショーが見られた。

 ヤエヤマヒメボタルは飛行力が弱く、地面に近いところをゆっくり飛ぶため、森の中は光のじゅうたんを敷き詰めたような幻想的な世界が広がった。

 ホタルを見るため、西表島を訪れたという千葉県の千葉遥加さん(27)は「まるでクリスマスのイルミネーションのよう。自然がつくり出す光に感動しました」と話した。

 西表島での見ごろは今月20日ごろまで
(4/11 八重山毎日新聞)





【酔駄言】☁|☂ 21/27℃:4mm:北部で大雨、東村で85mm

 じんじん(ほたる)の話題、ホタルといえば梅雨にアジサイだがいくらなんでも早すぎる。壺屋は琉球石灰岩の丘陵地で、地下水が豊富なために丘の傾斜にあわせて50余も登り窯が造られた。狭いスージグヮー(裏路地)は水の流れる窪みに沿って刻まれ、そこかしこのグァー(遊水井戸)にホタルが飛び交った。

 むかしのわらべうたに「つぼやのじんじん」と歌われた土地柄で、陶芸道場辺りのスージグヮーでなんども見たことがある。以前のブログ「陶芸道場は「壺屋のじんじん」、ホタル飛び交い」にも書いた。童謡「じんじん」のことも書いたなぁ・・・


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2018年04月10日

沖縄在来の桑を栽培

沖縄在来の桑を栽培
「島桑」の実をつまんで食べた、という思い出が



 シリーズ「沖縄大好き再発見」は浦添市で栽培されている沖縄在来の桑「島桑」についてです。昔は道端になっている桑の実をつまんで食べた、という思い出がある方いらっしゃるかもしれませんが、今その魅力が再発見されています。(4/4 RBCテレビ)


 浦添市のシルバー人材センターで栽培されている「島桑」は、宮古島市の池間島が発祥の桑で、シルバーの男性陣が栽培を担当し、女性陣の「島桑レディー」が加工を受け持っている。

 桑はもともと蚕のエサだが蚕が終わるとお役御免。放置していると甘酸っぱい実がなり、捨てるのがもったいないと活用法を工夫した。実の糖度は20.4%と甘く「桑の実リキュール」を作った。

 また、葉は香りがあり「桑の葉茶」として、浦添の特産品となっている。葉にはインスリンの過剰分泌を抑える効果があり、食後の血糖値上昇も抑止できるという。
(文はまな兵衛が意訳)





【酔駄言】☀/☁ 18/26℃:0mm:夕方の明るく暖かいうちに浴びるシャワーが気持ち良い。先週の寒の戻りはシャワーを15分も出しっぱなしにして浴室を温め、脱衣スペースにも真冬と同様に遠赤のヒーターを点けないと、寒くて風邪を引いてしまいそうな気温だったなぁ。

 沖縄は真冬でも暖かいということで、ワンルーム・マンションではバスタブがなく、シャワーだけというケースが多い。やちむん通りに越してきた時には、ワンルームは1棟しかなく止む得ず引っ越したが、毎冬のシャワーに苦戦している。沖縄の冬はサビーなぁ・・・


 

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2018年04月09日

月桃はうりずんの花

月桃はうりずんの花
「うりずん」の季節に鮮やかに「サンニン(月桃)」の花

サンニン.jpg
 暖かなうりずんの季節が続く中、 月桃 (サンニン) の花が咲き始めている。

 宮古では原野や畑の境界などでよく見られ、 トライアスロン大会が近づく頃に開花が目立つようになる。 これから夏にかけて花を咲かせる。

 熱帯・亜熱帯に分布するショウガ科の多年草。 この季節になると桃色がかった白色の蕾がぶどうの房のように生り、 やがて鮮やかな黄色と赤の花が下向きに開く。 見方によっては犬が口を開けたようにも見える。

 独特の香りがあり、 葉で餅を包んで蒸して 「ムーチー」 を作る。 防虫や防カビ、 抗菌の効果があるとされ、 化粧水や香料、 お茶など加工品の原料として活用されている。

 虫を防ぐとされているものの、 オオシロモンセセリの幼虫は月桃の葉を好んで食べる。 茶色に白い紋様があり、 宮古にいるセセリチョウの中では比較的大きく、 月桃の近くでよく見られる。
(4/6 宮古日報)


 沖縄県では葉にムーチーを包んで蒸す。沖縄県ではこの用途のために需要が一定存在するが、栽培されることはあまり無く、ムーチーの季節である冬至前になると野生のゲットウが大量に収穫される。

 沖縄ではこのほかに香り付けを兼ねて饅頭の包装に使用されたり、肉や魚を包んで蒸し焼きにするなど幅広く利用されている。ブルーシールアイスクリームのフレーバーの一つにもなっている
(Wikipedia)





【酔駄言】☀ 13/23℃:0mm:今朝は真冬並みに冷え込んだが、日中は今日も快晴で明日からまた「うりずん」に戻る。しかし、徐々に雨季が忍び寄って来るようで、今年の梅雨入りはGW前かも知れないなぁ・・・

 この季節は月桃が各家で蕾を膨らませはじめ、通りがかりにほのかな香りに庭をのぞくと、数輪の花が開いているのが見える。庭に植わっているから栽培種だろうけど、地下茎でどんどん増えるとかで身の回りにありふれている。山間部の自生の群生を観たいもんだが・・・


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2018年04月08日

離島から進学奨学金

離島から進学奨学金
人口585人の離島から応援「夢かなえ帰る」

本島進学奨学金.jpg  【池間島=宮古島】経済的な理由で子どもたちが進学を諦めることがないようにと、地域活性化に力を入れるNPO法人「いけま福祉支援センター」(前泊博美理事長)が、返済不要の「池間すでぃがふぅ奨学金」を創設し、3月30日、受給者第1号の與那原愛理さん(18)に30万円を贈った。
← 與那原愛理さん(前列左から2目)と祖母のサヨさん(同3人目)に奨学金を贈った前泊博美理事長(同右端)

 那覇市の動物訓練専門学校に進学し、犬や猫の保護活動に携わるのが目標の與那原さんは「温かい気持ちをもらい感謝している。夢をかなえて帰ってきます」と気合を入れた。贈呈式には多くの高齢者が集まった。

 同センターは2014年から毎年、島の自然や歴史、文化を題材にカレンダーを発刊している。5年間で302万円の売上金がたまったことから、島おこし担当の三輪大介さん(47)の考案で、宮古言葉で感謝の意味を表す「すでぃがふぅ」の名称を付けた奨学金を創設した。

 幼い頃に母親を亡くし、天ぷら店を営む祖父母に育てられた與那原さんの「できない理由を掲げて最初から諦めることなく、ひたむきに挑戦する意欲」が高く評価され、第1号の受給者となった。

 贈呈式で前泊理事長は「島の人皆があなたを応援している。いつの日か島を支える一員になってほしい」と期待した。祖母のサヨさん(83)と共に目録を受け取った與那原さんは目に涙を浮かべながら「小さい頃から育ててくれたおじぃ、おばぁに本当に感謝している。

 2年間も離れるのは寂しいけれど、帰ってくるまで元気でいてね」と声を掛けた。サヨさんは「奨学金の対象になったと聞いたときはうれしくて泣いた。私の孫がこんな素晴らしい賞を頂けるのは夢みたい」と喜んだ。

 池間島は人口585人(3月末現在)で、人口の減少と高齢化が続いている。住民のつながりは強く、贈呈式に集まった高齢者を代表しあいさつに立った勝連昭子さん(89)は、「池間島のために一生懸命最後まで頑張ってください」と激励した。

 ハンカチで目頭を押さえながら別れを惜しむ高齢者を前に、與那原さんは「夢をかなえてきます」と力強く宣言した。
(4/6 沖縄タイムス)





【酔駄言】☀ 15/19℃:0mm:たった1日だけのお湿りで寒の戻りも明朝まで

 離島が好きだ、憧れている。都会の片隅に生まれ育った故をもって、移住するなら暖かい南の離島にあこがれていた。離島でも宮古/石垣/西表のような大きなな島や、久米/与那国などの中くらいの島も離島というより海辺のある陸地という感じで、もっと四周に身近な海岸がある小さな島が良い。

 移住して8年で10余の離島を訪れたが、島を歩いて1周できる小さな島は1つしかなかった。池間島は宮古島の北端にポチッとくっついている小さな島だが、それでも歩いて一周するにはちょっと大きい。2度の訪問も宮古本島と橋でつながった北詰の浜までしか行ったことがない。

 本当は時間を割いて島の漁村落を訪れできれば民宿したい。集落には小・中学校があるが僻地校で、高校に進学するには宮古本島に行くしかない。幸いにも架橋で本島にバス通学は可能だが、大学/専門校は沖縄本島に行くしかない。本文の彼女も奨学金を得て進学できたという。がんばれ!


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2018年04月07日

訪日消費、沖縄8.5倍

訪日消費、沖縄8.5倍
県内総生産の消費に占める訪日客消費の割合が6.3%

インバウンド.jpg  2017年に4兆円を超えたインバウンド(訪日外国人)消費額を都道府県別に推計したところ、地域への恩恵が広がっていることがわかった。

 東京都の1兆6000億円に続き、関西も1兆円を突破。沖縄なども伸び個人消費で大きな割合を占めるようになった。生産や輸出に波及する地域もあり地域経済に好循環を生みつつある。

 訪日客は東日本大震災後、円安やビザ発行緩和で急速に拡大。当初は東京―富士山―関西の「ゴールデンルート」に集中したが、リピーターらの増加で地方に向かい始めた。

 消費額上位で伸び率が高いのは沖縄県の8.5倍、福岡県の6.8倍、北海道の6.2倍で、恩恵が地方に広がっていることを裏づける。
 特に沖縄県は県内総生産の消費に占める訪日客消費の割合が6.3%と全国で最も高くなった。これは県民の教養娯楽費に近くファッション代の2倍に相当する。滞在が長く県内各地を回ってお金を落とすためとみられ、売り上げデータから「こんなに遠くに行っているのか」と驚く県内小売り大手サンエーの上地哲誠社長は免税店を6店増やし約20店にする。

 沖縄県の観光客は17年にハワイを抜き、アジアを代表するリゾートとして認知が高まる。その効果は輸出に波及し、沖縄特産のアグー豚など豚肉の輸出は16年度に10年度の6.4倍になった。
(4/2 日経新聞)





【酔駄言】☁ 19/15℃:0mm:0時に19℃/8時に16℃/17時15℃と下り坂、夕方から足元 ヒーターON

 昨日のシーミー(清明)では琉球王朝の尚氏末裔が、王統の墓所である世界遺産の「たまうどぅん(玉陵)」で、実に40年ぶりに王統の先祖供養祭を実施した。シーミーは門中/家系/家族の墓所前で供養の馳走を並べウートート〜(なんまいだ〜?)し、供えたごちそうを取り分けて門中/家系/家族でいただく。

 私は墓参りが苦手で逃げ回っていたが、遺骨が納められた墓の前で食事をするなんて耐えられない。琉球王朝(第二)尚氏の墓所である玉陵も、世界遺産だがあえて忌避しいまだに行っていない。琉球では遺骸を巨大な墓内に安置し、然るべき後に洗骨し瓷に収めるというおぞましい習慣があったという。

 そんな墓の前で拝むのはともかくお供えのごちそうを、半ばピクニックのように食べるなんて・・・ 尚家のシーミーは琉球における最高峰の式典で、古文書を紐解き古式豊かに行われたといゝ、メディアの映像/画像や記事を漁ったが、いずれもイマイチでブログのネタにはできなかった。


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2018年04月06日

カーミスーブ島言葉

カーミスーブとしまくとぅば(島言葉)
沖縄の「やちむんの町」壺屋に伝わる陶工対決
「カーミスーブ」に残るしまくとぅば


カーミスーブ.jpg
カーミスーブに臨む金城次郎さん(右)と
審判役の大嶺政寛さん(左)
第15回沖展(1963)年、壺屋小学校での貴重な写真
 陶工たちがろくろ回し、作品づくりの早さと技を競い合う「カーミスーブ(甕(かめ)勝負)」

 やちむんの町・壺屋に戦前から伝わる行事で、陶工の技量向上や地域の祭事、娯楽として親しまれてきた。

 勝負で作る器物には、今は珍しくなったしまくとぅばが、残る。

 壺屋陶器事業協同組合顧問の島袋常栄さん(74)に、カーミスーブで使う言葉を聞いた。

 「カーミースーブ、アランヨー(亀の勝負ではないよ)」。島袋さんは、冗談を交えながら、歴史を説明した。カーミスーブは、戦前から行われており、旧暦9月9日の重陽の節句(菊酒)に健康長寿や壺屋の発展を願った。と同時に、陶工の技量を高め、民衆の娯楽でもあったという。

 カーミスーブは陶工をまとめる年長者が、各窯元に呼び掛け、技量が同等の陶工を選ぶことから始まる。紅白2組に分かれたリレー形式。陶工は、ろくろで作品を仕上げると、15〜20メートル離れた台に走って作品を置く。走ってろくろに戻ると、次の陶工と替わる。こうして、10種の器を作り、早さと技を競う。観衆は、ドラや太鼓をたたき、勝負を盛り上げた。

 島袋さんはカーミスーブを「やちむんぬ、へーく、ちゅらく、つくいすーぶ(甕作り勝負は焼き物を速く、美しく作る勝負)」だと説明。速さとできばえを総合的に審査し、勝敗を決めるという。

 課題の器は日常使う生活雑器。湯飲み、皿、マカイ(椀(わん))、カラカラー(1〜2号の酒器)、ワンブー(鉢)などの順で作る。後半は難易度が高く、大きな作品が課題となり、アンダガーミ(豚の脂を入れる容器)、ユシビン(嘉瓶)を作る。時にはフチュクルビン(懐瓶)、タワカシー(泡盛を入れる細長いとっくり)が課題となることもある。

 戦後すぐは、カーミスーブが行われなかったという。島袋さんは、1957年に壺屋小で開催された第9回沖展の陶芸祭(カーミスーブ)が戦後初めてではないかと話す。壺屋三人男と呼ばれ、沖展会員だった小橋川永昌さん、金城次郎さん、新垣栄三郎さんや、画家の大嶺政寛さんが、沖縄の文化復興のために取り組んだのではと推察する。

 島袋さんは当時中学生。ドラや太鼓が鳴り響く中、真剣な表情で勝負に臨む3人や名司会の大嶺さんの姿を思い出す。「職人たちは普段、人前で作ることに慣れていないから後に人間国宝になった金城次郎さんでさえ、手が震えていたよ」。古きよき時代を懐かしんだ。
(4/3 沖縄タイムス)


"カーミスーブ” in 陶器まつり2013





【酔駄言】☁/☁|☂ 18/26℃:1mm:約3週間ぶりのお湿りで気温が下がってきた

 本文の島袋常栄氏は町民会での顔なじみ。壺屋統合ナナチネー(七家)の「トーウフヤー」直系だが、本家は長男さんが未だに王府の拝領屋敷に住んでおられる。常栄さんは3男で家業を継承していてシーサーの当代名手。2人の弟もそれぞれ窯元として活躍されている。

 彼は74歳というからボクより3才年下で、終戦後の駐留軍統治下で米国基準の新教育を受けたはず。ボクは戦後の新教育第一期生で教科書は新品だった。そんな新教育の幕開けではあったが家庭は窯元で、親御さんらのしまくとうば環境で育ったようだなぁ


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2018年04月05日

草赤瓦屋根のシーサー

草赤瓦屋根のシーサー
壺屋やちむん通りにひっそりと

P1060966.jpg
 壺屋やちむん通りの南釜横に閉ざされた赤瓦屋根の元陶房がある
P1060967.jpg
 1年ほど間に閉ざされ赤瓦屋根は草がぼうぼう、よく見ると草陰にシーサーが
P1060970.jpg
シーサーの名工の一人で数年前に亡くなった、島袋秀明氏の作と思われる

 壺屋の陶工「島袋秀明」氏は、琉球王府の命による壺屋統合時のナナチネー(七家)の、屋号「トーウフヤー」の分家らしい。壺屋陶芸集落の中心部に釜場を構え、古地図にはアラヤチ(荒焼き)の登り窯もあり、かなり旧い陶工の家系であったと思われる。

 トーウフヤーの家系は名乗り頭に「常」を持つが、秀明氏は名のごとく分家と思われ、物故陶工遺作展の図録に島袋秀満(1903-1997)があり17代目とあるが、もし秀満氏が先代なら壺屋統合の初期に分家した古い家系と思われる。数年前に亡くなり店舗も1年ほど前に閉められた。





【酔駄言】☀ 21/27℃:0mm:AMは少し雲が多かったがPMは快晴、久しぶりに立ち寄った育陶園の窯主さんに「まな兵衛さん、沖縄に来て良かっただろう、いまは沖縄で一番いゝ季節だよ」。うりずんから若夏に移り変わりつつあり、もう1ヶ月もすれば梅雨を迎える。

 育陶園工房に立ち寄ったのは仁王釜の帰り道、仁王釜の窯主である池野氏が壺屋の情報通なので、本文の閉じられた赤瓦屋根の窯元の情報を聞きに行った。ところがその窯元は陶器組合に入らず交流がなかったという。帰路に育陶園に寄り窯主に聞くと島袋だが下の名前はわからないという。

 さらに陶芸センター売店に足を延ばし町民会の事務局に聞くと、島袋秀明氏の窯だったとわかった。手元の資料や古地図を調べて推測したのが本文。島袋秀明釜はわがマンションと陶板坂を隔てた隣りで、終戦直後はわがマンションが市役所で秀明釜は警察署だったという。

 


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2018年04月04日

壺屋「シーサーの日」

壺屋「シーサーの日」
「壺屋うふシーサー」の前で式典



(映像はRBCテレビ)

 4月3日は、数字の語呂合わせで沖縄の魔よけの置物「シーサー」の日とされています。琉球王国時代から「焼き物の里」として知られる那覇市の壺屋地区では、シーサーをPRするさまざまな催しが開かれ、多くの人でにぎわいました。

 「シーサーの日」は、シーサーを広く知ってもらおうと那覇市の壺屋地区の人たちが定めたもので、3日は、地区にある高さおよそ4メートルの「壺屋うふシーサー」の前で式典が開かれ、子どもたちによる獅子舞などが披露されました。

 催しでは、シーサーの顔をつくる体験教室が開かれ、多くの親子連れが手のひらほどの土台に目や鼻などに見立てた丸い粘土をつけて、思い思いのシーサーをつくっていました。

 また、地区の通りでは、陶工によるシーサーづくりの実演が行われたほか、シーサーの焼き物などがふだんより安い値段で販売され、多くの人でにぎわっていました。
(4/4 NHK沖縄)





【酔駄言】☀/☁ 20/27℃:0mm:少しずつ雲が多い目になってきた

 沖縄の年中行事などをブログっているが、毎年同じ行事をテレビや新聞も取り上げ、このブログでも同様にネタにしている。だから読者さんから「去年も同じ話だった」と、きついコメントを頂くハメになってしまう。明日は「シーミー(清明)」なのでまたまた同じ話題となりそうだが・・・


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2018年04月03日

きょうシーサーの日

きょう4月3日はシーサーの日
壺屋うふシーサーを感謝込め清掃

シーサーの日2.jpg シーサーの日.jpg

 4月3日は数字の語呂にちなんでシーサーの日。沖縄県那覇市壺屋のやちむん通りと壺屋焼物博物館で「第17回壺屋でシーサーの日(同実行委員会主催)」を開く。イベントを前に2日、実行委員会が壺屋と牧志にあるうふシーサーを清掃した。

 うふシーサーは長さ約3・5メートルで重さは約3トン。壺屋焼でできており、7年前に設置された。清掃は2017年から始めている。渡慶次紫信実行委員長は「県民や観光客を守ってくれてありがとうという気持ちを込めた」と話した。
(4/3 琉球新報)





【酔駄言】☀/☁ 20/26℃:0mm:1週間以上も続いた快晴もきょうまでで午後から曇り

    晴れの日多かった3月の沖縄、日照時間が過去最多 平年の1.7倍

 気象庁は2日、3月の沖縄地方の日照時間が同月の観測史上最多だったと発表した。上旬は前線などの影響で曇りや雨が多かったが、中旬以降、高気圧に覆われて晴れの日が多かったのが原因という。日照時間は県内の全観測地点で平年を上回り、平年比174%だった。

 県内は2日も高気圧に覆われて晴れ、観測17地点で25度を超える夏日に。石垣島では午後0時53分に最高気温26・8度を記録した。向こう1週間は、期間の中ごろ寒冷前線の影響で雨の降る日があり、後半の気温は平年より低くなる見込み。

 沖縄気象台は2日、沖縄地方の気温が7日ごろから約1週間、平年よりかなり低くなる可能性があるとして「低温に関する異常天候早期警戒情報」を発表した。
(3/4 沖縄タイムス)

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2018年04月02日

夏到来! 那覇で海開き

夏到来! 那覇で海開き
那覇市で唯一の遊泳「波の上ビーチ」


波の上.jpg

 夏到来!  那覇市の波の上ビーチで1日、海開きがあり、青空の下、子どもたちが海に駆け込み歓声を上げた。遊泳期間は10月末まで。

 海開き式では、近隣の小中学生でつくる「若狭ちむどんどん太鼓」が、エイサーを披露。天妃小4年の大城友伽(ゆか)さん(9)と若狭小3年の板良敷杏美(あんび)さん(8)が海開きを宣言した。

 この日の最高気温は25・3度。式が終わると、子どもたちが笑顔で泳いだり、水をかけ合ったりしていた。海開きを心待ちにしていたという開南小5年の梅垣響子さん(10)は「(遊泳区域の)端っこまで泳いだ。楽しい」と声を弾ませた。
(4/2 沖縄タイムス)





【酔駄言】☀ 20/25℃:0mm:今日も快晴だったが週末から下り坂で気温も下がるらしい。昨日も快晴で「波の上ビーチ」で海開き。那覇市内で唯一の遊泳が可能な砂浜だが、目の前の沖合に2本も高架の道路が横切っていて、しかもフロートで仕切った遊泳区画は猫の額。

 かっては那覇の北と西に広がっていた海浜は、廃藩置県の明治以降にどんどん埋め立てられ、港湾と空港に変貌してしまった。海に突き出た琉球石灰岩の海崖だった波の上も、内港を防御していた飛び石海中道路の三重城(ミーグスク)も、見るも無残に飲み込まれてしまっている。

 それでも波の上は崖の上に神社が建立されからか、かろうじて崖下に海蝕の小さな砂浜が遺されている。それが市内で唯一の遊泳が可能なビーチなのだ。ボクが生まれ育った大阪市には泳げる砂浜がなかった。第一、通った幼/小/中/高の全てにプールがなかった。

 小/中/高での夏季の水泳授業は電車で市営プールや、隣りの堺市出島や甲子園浜まで半ば遠足ででかけたもんだ。堺の出島浜へは市電にすし詰め45分、電停前には塩田が拡がり砂浜は目の前だった。甲子園浜へは阪神電車で行ったが、甲子園駅から海までが約30分と遠かったなぁ。

 出島も甲子園も阪神間の砂浜は全て埋めたれられ、南は関空より南で西は須磨浦まで行かないと海で泳ぐことができない。これは沖縄でも同様で海岸線はずたずたに埋め立てられ、遺された自然海岸の多くは米軍基地により保全されている。


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2018年04月01日

イワサキクサゼミ

イワサキクサゼミ鳴く
宮古島では早くも初夏を告げるあの音が聞こえてきた


イワサキクマゼミ.jpg

 島の道路沿いの畑で聞こえてきたのは、小さなイワサキクサゼミの初夏を告げる鳴き声です。

 鳴き始めは平年だと4月初旬ごろということですが、ことし、宮古島では少し早く、ジージーという声が聞こえてきました。

 イワサキクサゼミの鳴き声はこれから夏に向かって、島の各地で響き渡ります。 (4/1 QABテレビ)

 イワサキクサゼミ(Mogannia minuta)は、日本に分布するセミの中では最小の種で、全長16 - 25mm、体長12 - 17mm。体色は黒色で弱い光沢がある。日本では沖縄本島・宮古島・石垣島・西表島などの、さとうきび畑などに分布する(Wikipedia)





【酔駄言】☀ 20/25℃:0mm:去年の今日は "(☂>)☂>☂>☁ 17>18>15℃/88>82>64%/2.5mm/0mh : 昨日の夏日が冬に逆戻り" で3月も天気が悪かった。今年は「真のうりずん」でこれが平年の沖縄の新緑。さぁ、今年の梅雨入りは早いか遅いか? それまでのうりずんを享受しよう

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2018年03月31日

米軍空域が大幅拡大

米軍空域が大幅拡大
米軍「臨時訓練空域、異例の「固定型」へ
いまでも制限多い民間機がさらに制限か

臨時訓練空域.jpg

■9秒でまるわかり!
 ・沖縄周辺で2016年以降、米軍訓練専用空域「アルトラブ」が大幅拡大
 ・2015年末に、国が自衛隊用に設定した臨時訓練空域とほぼ同じ範囲
 ・空路図に載らず非公表のまま固定化しており、民間機の航行を圧迫

 沖縄周辺で、米軍が訓練する際に民間機の飛行を制限する「アルトラブ」という臨時の米軍専用空域が2016年12月以降、既存の訓練空域を大幅に拡大する形で設定されていることが分かった。

 アルトラブには「暫定型」と「固定型」があるが、米軍資料では「固定型」とされており、米軍専用の空域指定が常態化しているとみられる。米軍嘉手納基地の第18航空団が16年12月28日付で作成した「空域計画と作戦」に「固定型アルトラブ」と明記されている。

 一方、国土交通省は本紙取材に、15年12月に自衛隊用として臨時訓練空域を設定したことを認めた。アルトラブと臨時空域はほぼ同一範囲となっている。国交省担当者は「自衛隊要請に基づいて設定した。誰がどのように使用しているかは分からない」としている。

 沖縄周辺には伊江島補助飛行場周辺や本島東方のホテル・ホテルなど複数の訓練空域が常時設定されており、那覇空港を離着陸する民間機が制限を受けている。アルトラブの追加設定で、沖縄上空の航行が米軍の運用のためにさらに圧迫される形となっている。アルトラブは臨時的措置のため航空路図には載らず、公表もされない。

 これまで、統合演習などを目的に「暫定型」を中心に千件を超えるアルトラブが設定されているとされる。ただ、訓練空域を大幅に拡大する形で「固定型」が設定されるのは異例だ。

 全国のパイロットや管制官など民間航空の組合員らでつくる「航空安全推進連絡会議」は17年、国に対し民間機の安全かつ効率的な運航のためアルトラブの削除と「固定型」を設定しないことを求めている。
(3/27 沖縄タイムス)





【酔駄言】☀ 20/25℃:0mm:旧暦二月ウマチーの今日で3月弥生尽、明日から新年度が始まり新社会人や新入生が初陣、転勤/進学で新しい土地に赴く人も多いだろう。二月ウマチー(にんぐゎちうまちー)は、旧暦2月15日に行われる麦の初穂祝い。うりずんの新芽のように成長を願う

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2018年03月30日

オクラレルカ咲き始め

オクラレルカ咲き始め
オクラレルカ(アイリス)の花咲き始める



 大宜味村喜如嘉ではオクラレルカの花が咲き始めうりずんの季節の到来を告げています。
 水田では薄紫色をしたオクラレルカの花が少しずつ咲き始めています。ことしは冷え込みが続いた影響で例年よりも開花が遅れたということですが、最近のポカポカ陽気で一斉にほころびだし、薄紫色に白と黄色の線が入った鮮やかな色合いの花が人びとの目を楽しませています。

 アヤメ科でアイリスの別名を持つオクラレルカは、剣のようにとがった長い葉が生け花用として県外で人気が高く、栽培農家が葉の収穫作業に追われていました。 オクラレルカの花は来月いっぱい楽しめるということです。
(3/29 RBCテレビ)





【酔駄言】☀ 20/26℃:0mm:もう2週間以上の快晴は文字通りのうりずん

 「オクラレルカ」はアヤメの仲間らしいが、沖縄や南西諸島/亜熱帯の固有種なのか、日本本土でもありふれた種なのかは知らない。本土でも咲く植物でも先駆けて開花する花は、旬の話題として取り上げているができれば沖縄/亜熱帯の花で、栽培されたものでなく自生している花が好のましいなぁ


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2018年03月29日

沖縄地価 全国最高に

沖縄地価 全国最高に
全用途平均5.7%上昇 好調経済がけん引

沖縄地価.jpg  国土交通省は27日、2018年1月1日現在の公示地価を発表した。沖縄県内地価の平均(全用途)は前年比プラス5・7%(上昇幅2・6ポイント)で、5年連続の上昇となった。全国平均のプラス0・7%を大きく上回っており、変動率は全国1位となった。住宅地はプラス5・5%、工業地は同14・6%でともに全国で最も高い数値だった。商業地は同5・6%で京都に次いで2番目に高かった。
 沖縄を訪れる国内外の観光客は増加傾向にあり、好調な県経済の下でホテルや商業施設の建設が盛んなことなどから、地価も上昇を続けている。県内の最高価格地点は、住宅地が7年連続で那覇市おもろまち3丁目6番11の27万円(変動率プラス17・4%)、商業地が17年連続で那覇市久茂地3丁目1番1の101万円(同プラス11・2%)だった。1平方メートル当たりの平均価格は住宅地が8万5千円(同プラス5・5%)で商業地が15万3500円(同プラス5・6%)となった。

 工業地の変動率で全国1位だったのが豊見城市にある調査地点のプラス27・4%、次いで糸満市にある調査地点の同11・1%だった。道路の開通によって空港へのアクセスが便利になったほか、那覇市や浦添市よりも割安感が出ていることが地価上昇に影響した。

 県内の市町村別の状況を見ると、住宅地の変動率が最も高かったのは北谷町のプラス11・6%(1平方メートル当たり平均価格11万2100円)、次いで読谷村の同9・7%(同4万500円)、八重瀬町の同8・2%(同5万6100円)などとなった。商業地は中城村の同13%(同13万円)、浦添市の同8・1%(同17万800円)などとなった。各地区ともに区画整理が進んでいることや、那覇へアクセスしやすく割安感があることが背景にある。

 不動産鑑定士の平光一氏は今後について「観光は好調を維持しており、ホテル建設などのために土地の需要も堅調となっている。引き続き地価の上昇は続くはずだ」と見通した。
(3/28 琉球新報)





【酔駄言】☀ 21/25℃:0mm:今日もいゝ天気、隣りのフクギも若芽がうりずん

 壺屋のやちむん通りは地価測定地点でなく、現時点の地価や上下率はわからない。移住してから足かけ8年だがやちむん通りでは店舗の改装が数件、スージグヮーでの住宅新築も数件しか目撃していない。もともと空襲や地上戦の戦火を免れた、戦前の佇まいを残す陶芸集落ではあるが・・・

 とはいっても戦前からの赤瓦屋根の旧家は殆ど残っていず、ほとんどすべてがRCなどの洋風住宅/店舗で、風情がないことおびただしい。かえって読谷の窯場のほうが赤瓦屋根の陶房/住宅が点在していて、いかにも焼物の集落といった景色が好ましいなぁ


posted by まな兵衛 at 11:37| 沖縄 ☀| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月28日

一子相伝「ガクー」

一子相伝「ガクー」
300年前の「路次楽」楽器継承

路地楽1.jpg  琉球王国の宮廷音楽「路次楽」に使用する吹奏楽器の一つ「ガクー」の奏者が村湧川区にいる。約300年前から世襲され、與儀弘文さん(75)は6代目。

 当時から使われた漆塗りの「ガクー」は修復を重ねながら、今も継承されている。区の豊年祭にも欠かせない存在で、與儀さんは「琉球古来の民俗芸能文化を大切にしたい」と話す。

 「ガクー」は主に三つのパーツで構成。ラッパの形の部分は直径約12センチ、ガジュマルで作られている。笛子と呼ばれる音階部分の素材はリュウキュウハリギリ。長さは約30センチ、表に七つ、裏に一つの穴がある。音を出すリード部分にはわらを差し込む。

 與儀さんは「これは初代の與儀銀太郎が制作したガクー。約300年代々受け継がれている。沖縄戦では穴を掘って埋めたので助かった」と演奏して見せた。

 ガクー演奏は豊年祭のスーマキ棒が演武する時の「サーサーガク」「太鼓ガク」「アギガク」の3曲あり、上句と下句の間に棒方が「クラサーサー」と囃はや子しを入れる。どの句もひと呼吸で1分近く演奏しなければならないという。
路地楽2.jpg
首里金城町の石畳で演奏する湧川の路次楽
後列左が5代目の富三さん

 陸上競技やダイビングもしている與儀さんは奏者であり、制作者。「肺活量が必要な楽器。5代目まではほとんど65歳前後で引退した。私は15本のガクーを制作した」と振り返る。

 伝承に教科書はなく聴いて覚える。1969年に5代目で父の富三さんが東京国立劇場で「沖縄民俗芸能発表会」に出演後、無言で初代が制作したガクーを手渡した。與儀さんは26歳。6代目のバトンを受け取った瞬間だった。

 あれから半世紀。與儀さんは「7代目はすでに区の豊年祭で演奏を披露した。與儀家一門の誇りだが、門外では地元から離れない区民5人に伝授している」と話す。

 約20年前、同区で「路次楽保存会」を組織し、会長も務める與儀さん。仏壇には82歳で他界した富三さんと先祖の遺影の前に、それぞれ1本のガクーを供え、伝統の継承を誓っている。
(3/26 沖縄タイムス)





【酔駄言】☀ 19/26℃:0mm:今日も快晴の夏日、新緑のうりずん

 琉球の音楽は一に圧倒的に三線が占めているが、三線は琉歌の伴奏楽器で独奏楽器として発達はしなかったようだ。楽器としては三味線と同じく音階を奏でることは可能だったのに、なぜ独奏の名手や名曲が遺されていない? あるいは演奏される機会がないだけかも知れない。

 組踊のVTRを視た限りでは場面の転換や、幕間などで奏でられていた記憶はあるが、独立した演奏機会を見聞きしたことがない。三線に次いでは御座楽と路地楽がかろうじて継承されている。御座楽は宮廷での式典に演じられたミニ琉球オーケストラだが、民衆の耳には触れる機会がなかった。

 路地楽は文字通り屋外で奏でられる音楽で、主として行列の行進曲として用いられたようだ。琉球王府が江戸幕府に慶賀する「江戸上り」の道中で演奏された。これは侵攻した島津藩の強要で異国風を強調するために用いられた。御座楽も同行し幕府の御前で綺羅びやかに奏でられた。

 本文の「ガクー」は記事にあるように、オーボエ(あるいはチャルメラ)のような楽器らしい。リードは麦藁とあるがダブルかシングルかはわからないが、30cmほどの木管には表に7と裏に1つの指穴があるというので、音階は吹奏できただろうし、裏の指穴はオクターブキーかも知れないなぁ?


ラベル:ガクー 路地楽
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2018年03月27日

沖展「カーミスーブ」

沖展「カーミスーブ」
壺屋 vs 読谷 陶工たちが早さ美しさ競う


 陶器をつくる陶工たちがろくろを挽いて、作品をいかに早く、美しく仕上げるかを競う「カーミスーブ」が25日、浦添市で行われました。

 「カーミスーブ」は浦添市で開かれている第70回沖展の関連イベントとして行われたもので、壺屋と読谷の陶工たちがそれぞれ10人1チームに分かれ、与えられたテーマの作品をいかに早く美しく仕上げるかを競いました。

 多くの陶芸ファンらが見守る中、出場した陶工たちは足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)や電動轆轤を巧みに操って、湯呑みや皿などを手際よく制作していました。

 会場では壺屋と読谷の陶工たちの熱い戦いが繰り広げられ、訪れた人たちが熟練の技に惹きつけられていました。
(3/26 RBCテレビ)


沖展カーミスーブ.jpg
(3/27 沖縄タイムス画像)

壺屋陶器まつりのカーミスーブ(2014年11月23日 まな兵衛ブログ)





【酔駄言】☀ 16/24℃:0mm:今日もほヾ快晴で快適なうりずん。「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされる。冬が終わり大地に潤いが増してくる時期(2〜4月)のことをいうが、本土の春とは趣が少し異なる。若葉がいっせいに咲き、草花はその彩りを増して、大地を潤していくていく、そんな様子が目に浮かぶ言葉である。よくネット上で「初夏」と紹介されているが、それは間違い。(Weblio辞書)

 沖縄で言う「うりずん」は春分から穀雨の梅雨入り前のこと。彼岸明けから沖縄は最も天候がよく、乾季の季節でシーミー(清明)のころがベスト。それからは徐々に気温が夏日から真夏日に昇り、湿度が高まってきて早ければGW前に梅雨入りすることもある
posted by まな兵衛 at 11:13| 沖縄 ☀| Comment(0) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする