2017年06月23日

慰霊の詩「誓い」

慰霊の詩「誓い」
誓おう。私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない


誓い.jpg

(6/23 「誓い〜私達のおばあに寄せて」 県立宮古高校3年 上原愛音)





【酔駄言】☀☀ 27/30℃:92/73%:0mm:40mh:梅雨明けから日中の湿度が低くなってきた

 正午前に買い物に出たら那覇港の汽船の汽笛が聞こえた。いつもより長く鳴り続けていたので慰霊の日の弔鳴とわかった。その頃には摩文仁で慰霊の式典が行われていた。6回目の慰霊の日をいつも通り終の棲家で迎えたが、テレビ局のネット・ライブ中継を去年はじめて見た。

 この手の県による式典や行事などは、政治色が全面に出ていて違和感がある。72年前の今日は日本軍の組織的な攻戦が終了した日で、沖縄の県民にとって歓迎すべき独自の記念日になる。もっとも米軍の掃討戦が南下をし続けていて、さらに悲劇的な県民の死傷者をだしたが・・・

 それにしても県民にとっては戦争が終わったという、喜びの日であり戦死者を慰霊する日でもある。したがって2度と戦を起こさないと誓いを新たにするはずが、戦後の基地問題に言及するのは的はずれな気がする。真に戦争をすまいことを誓う式典に戻るべきだ。


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2017年06月22日

夏至すぎ梅雨明け

夏至すぎて沖縄は梅雨明け
首里城の日時計も夏時間に角度を変えた


 琉球王朝時代に使われていたとされる首里城の「日時計」も、夏至のきょうから夏用の角度で時を刻みます。

 今からおよそ270年前、琉球王朝時代の首里城では太陽の光を受けてできる影で時刻を知る「日時計」が使われていました。「日時計」は沖縄戦で焼失しましたが、復元されたものが公園内に設置され、今も時を刻んでいます。普段は柵で囲われ、間近に見ることはできない「日時計」が「夏至」のきょう特別に公開されました。

 「日時計」は、二十四節気ごとに文字盤の角度を変えていたそうですが、現在は春分・夏至・秋分・冬至の年に4回、文字盤の土台の角度を変えています。

 観光客「季節によって変えるっていうのがすごいなって」「全然ないですね、意識したこと。すごい考えてたんだなと。ちゃんと細かく今とぴったり合っているので、この時代からすごいな」。首里城公園松田幸乃解説員「季節には敏感でいらっしゃったのかなと。中々今の忙しい人には感じられない事を、ここでちょっとでもそれが感じられたらなと思います」。今と変わらず、正確な時を刻んだ日時計から、本格的な夏の訪れを感じることが出来そうです。

ニュースの映像はこちら
(6/21 OTVテレビ)


 琉球王国時代、首里城には「漏刻門(ろうこくもん)」という門に設置した水時計で時間を計って、時刻を知らせていた。1739年には「日影台」を設置して、より正確な時刻を計ることにして、1879年の廃藩置県まで使われていた。

 沖縄は日本の標準時の基準となる兵庫県「明石」の天文台より、西側にあるので、太陽の「南中時刻」(太陽が一番てっぺんに来る時刻。正午)は、日本の標準時よりも、だいたい27分くらいズレがある。
(首里城サイト)





【酔駄言】☀☀ 28/30℃:90/82%:0mm:30mh:梅雨明けで真夏日/熱帯夜/熱中症厳重注意

 首里城には関心をなくして3年も行っていない。3年前には大奥のウーチバル(御内原)の建物が復元され以来だ。王妃の屋敷のクガニウドウゥン(黄金御殿)や、王族のユインチ(寄満=台所)はRC造りで間取りは展示スペース/倉庫。国王の居間である内書院は木造で内装も復元されていたが・・・

 既復元のウナー(御庭)周辺の建物でも、正殿だけが木造で内装も復元されているが、観覧順路の南殿/北殿はRC造りで展示/売店スペース。国王の執務室である書院は木造だが、内書院ともども日本風の内装で琉球色がない。見ものは正殿の儀式用空間だけで、いちど見たらリピートは不要だなぁ。

 だから、それらの有料(500円)スペースはがら空きとか、観光客は歓会門/瑞泉門/漏刻門/広福門の順路を経て、下御庭(まで無料)までの城壁や櫓門や、奉神門(ここから有料)をくぐりウナー(御庭)から正殿/南殿/北殿の琉球色職豊かな外観を視るだけで充分だと思う。

 首里城の歴史を調べたり小説「テンペスト」を読むと、往時の政りごとの表の間取りや大奥の私的空間を、彷彿させる工夫が全くなされていない。たとえば北殿は内閣府の建物だったが間取りは窺えないし、黄金御殿はどんな間取りだったのか? 王府の内外の生活感が実感できずおもしろくないなぁ・・・


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2017年06月21日

夏至 ヒスイカズラ咲く

大雨に耐え咲き誇るヒスイカズラ
風雨にも負けず… ヒスイカズラ二度咲き きょう夏至



 21日は二十四節気の一つ「夏至」。暦の上では1年で最も昼が長く、夜が短い日となる。沖縄地方ではこの時期に吹く季節風を「夏至南風(カーチべー)」と呼び、梅雨明けを知らせる。

 20日は湿った空気の影響で曇りや雨空が広がった。本部町伊豆味の伊豆味ベゴニア園(具志堅一郎園長)では、二度咲きのヒスイカズラが降り続いた大雨に耐え、宝石のように淡い青色を輝かせた。

 訪れた具志堅麻美さん(31)=町伊豆味=と息子の光太ちゃん(3)は「大雨で一部花びらが落ちてしまったけれど、きれい。二度咲きは珍しい」と話した。

 沖縄気象台によると向こう1週間は、期間のはじめは梅雨前線や湿った空気の影響で曇りで雨の降る所もある。その後はおおむね晴れる見込み。
(6/21 琉球新報)

                     夏至南風(かーちーべー)





【酔駄言】☀|☁ 27/30℃:91/78%;0mm:20mh:日が出るとカーチベーでもムシ暑い

 カーチベーのカーチは夏至が訛ったとわかるがべーが南風はちょとわからない。沖縄では南をフェーというがなぜベーなのか。カーチベーと対極の季節風をミーニシといゝ、冬に吹く冷たい北風でミーは新しいでニシは北。なぜ北が西なのかは本土方向をすべてニシと、十把ひとからげに指している。

 ちなみに東をアガリというのは陽が上がる方向で、西のイリは日の沈む方向のことだ。つまり沖縄では東西南北をすべて言い換えている。壺屋でもアガリヌカー(東の井戸)やフェーヌガマ(南の窯)がある。陶器産地の壺屋統合のナナチネー(七家)の、重文新垣家の屋号はアガリで壺屋の東側に位置しているからだ。


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2017年06月20日

旬のライチ鈴なり

ライチ鈴なり いまが旬
あふれる果汁に独特の芳香に清涼な味わい


 新鮮なライチのおいしさは冷凍物とは比較にならない。 収穫期が短いため入手困難だが、 下地川満の砂川果樹園では13日から出荷を始めている。 今年は豊作となりハウス内では、 赤みがかった大粒のライチが鈴なりに実っている。

 ライチ (レイシ) は中国南部原産で熱帯・亜熱帯の地域で栽培される果物。 鮮度が落ちやすいため日本では冷凍物が多かったが、 最近は流通網の発達に伴い生の輸入品も増えつつあり、 国内では沖縄や宮崎などで栽培されている。

 マンゴー農園を営む砂川徹一さん (72) ・千代子さん (70) がライチを始めたのは7〜8年前、 宮古では誰もやっていなかったため今でも手探りで栽培している。

 開花期は2〜4月で昨年は急激な低温などでマンゴー同様に花が咲かず不作だったが、 今年は順調に開花して豊作となっている。

 最初に栽培した木は枝がハウスの屋根につくほど成長したが、 新たに植えた木は枝を低く抑えて栽培。 約1・5bと程よい高さに育ち、 来年には収穫できるという。 砂川さんは 「ライチは成長が早く、 マンゴーに比べて手間がかからず作業が容易」 と話す。

 収穫したライチのほとんどは卸売業者を通して販売しているが、 この時季を知っている顧客からはすぐに注文が入り 「需要が多く足りない状態」 だという。 砂川さんは 「ライチは有望だと思う。 若い人にやってもらいたい。 宮古でも広まれば」 と勧めている。
(6/14 宮古新報)





【酔駄言】☀/☁ 24/30℃:96/78%:1mm:15mh:10日ぶりの☀ 明日あたり梅雨明け〜

 アマゾンのカストマーサービスがスピーディーなレスポンス。なんかカタカナばかりだなぁー日本語だと、
アマゾンの顧客対応が迅速な反応、と23文字が15文字。今月のはじめに代引きで注文したイトーキのOAチェアが、初期不良で交換となって今夕にSAGAWAから代引きで配達にくるという? ちょっと待ったー! 交換品だから無料のはずとストップを掛か引き取りを拒否した。

 アマゾンHPのカストマーサイトにクレームを送信したら、アマゾンから10数秒後に携帯にかかってきた。交換品を間違えて代引きで発送した、即、交換品を無償で配送の手配をしますという。その迅速な対応には感心したが、元は交換品の発送ミスで配送センターのお粗末さ。

 なにしろ梱包で3辺が各1m以上25kgもの大荷物、玄関ドアーから入らず外廊下で開梱し組み立てた。そんな大きく重たい荷物を2度3度と注文してから3週間もかかるなんて。なにしろ沖縄は遠くて送料無料だから船便だし、不良品の大きな椅子が10日も1Rの狭い部屋を圧迫している・・・


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2017年06月19日

梅雨時の鮮やか共演

梅雨時の鮮やか共演
黄色の花ビヨウヤナギと、南国的な花を付けるクロツグ


ビヨウヤナギ



クロツグ
 梅雨時に珍しい鮮やかな黄色の花ビヨウヤナギと、南国的な花を付けるクロツグが名護市内で咲いている。

 ビヨウヤナギは中国原産で300年ほど前に渡来。道路脇の花壇や庭でよく見かける。低木で雄しべは長いまつ毛のようにカールする。花弁は重ならない。

 花期は長く、5月から7月頃まで咲き続ける。花をいっぱい付けるので好んで栽培される。葉は見事な十字対生。

 クロツグは石灰岩地の森林でよく見られ、御嶽周辺にも多い。幹は円柱状で数本が束になって5メートルほどになる。

 甘い香りを漂わせ、まるで香水のよう。花序の枝は黄色みを帯び、花は多数密着する。果実は2センチのだ円形。

 幹の表面は黒い繊維に覆われ、これは船の綱に利用されていた。名前はツグがシュロの意味で幹の繊維が黒いことによる。南西諸島、台湾に分布。方言でマーニ、マニンなど。ヤシ科。
(6/18 琉球新報)





【酔駄言】☁/☂☂☂ 23/25℃:96/86%:207mm:0mh:梅雨末期の最後っ屁で大雨

 今日の新報(電子版)に目を引く面白い見出しが;


    バチみかすんどー




 はじめて目にする言葉。記事を読んだら沖縄市のエイサーのまち10周年の話だった。記事には見出しの説明がなかったので想像すると、「バチ」は太鼓のバチ? 「すんどー」はするぞー? とすれば『みか』すんどーは??? 最初は」ブチカマスドー」かと思ったが・・・

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2017年06月18日

西表島デンサー祭り

八重山西表島のデンサー祭り
デンサ祭りがミルク行列を先頭に道踊り

 豊年祭の名残がある西表上原地域で、40年近く続く行事「デンサ祭り」が17日午後、公民館施設「ういばるデンサ会館」前の町道と広場で盛大に行われた。

 豊年祭に由来する祭りや芸能を披露しながら、五穀豊穣を祈願した。ことしは公民館組織の設立70年目の節目。住民たちが地域の発展も祈願した。

 道踊りは「ミルク行列」でスタート。婦人会による軽快な「デンサ音頭」、青年会の「マミドーマ」、上原子供会の勇壮な「棒術」などが次々と披露された。

 船と馬車をモチーフにした「ツナヌミン」、豊作と豊漁、子孫繁栄などを占う綱引きなど、豊年祭の名残で続く演目に盛り上がりをみせた。

 銘里智館長は「移住してきた人たちが集落になじむきっかけづくりにもなっており、住民たちの気持ちをまとめる良い機会になっている。近年は若い人たちがとても元気。これからも継続していきたい」と笑顔を見せていた。

 道踊り後の祝賀会では、同祭りに貢献してきた仲島隆史さん、平良健市さん、船浦中学校吹奏楽部に感謝状が贈られた。町の前鹿川健一副町長が祝辞を述べた。

 上原地域では、過去に豊年祭と海神祭を合わせて行っていたが、1979年ごろから現在の形に落ち着いている。祭り前日には地域主催の「デンサ節大会」が行われていたが、町主催へと移り変わり今年は町民俗芸能連合保存会と町が24日に共催する。
(6/18 八重山毎日新聞)





【酔駄言】☁|☂ 22/25℃:87/74%:1mm:0mh:やっと☂がやんだが梅雨明けまだか?

 「デンサー」節は石垣出身の日本のフォスター、宮良長包を調べたときに覚えがあるが・・・

 沖縄県民に代々歌い継がれてきた「デンサー節」。戦前に生まれたこの曲には、先人が残した教え『黄金言葉(くがにくとぅば)』が残されています。その歌詞の意味、チムグクルを理解し、未来に継承していきましょう。

 「デンサー節」は西表島の上原集落の役人、宮良里賢によってつくられた教訓歌。発祥の地上原集落では、上原デンサー祭り(上原公民館主催)がデンサ節之碑広場で毎年賑やかに開催されています。デンサー節の歌詞は多種多様。歌い手によって、アレンジを加えられることが多いのも沖縄民謡の特徴・・・とか


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2017年06月17日

タラマバナ「紅餅」

タラマバナ「紅餅」
タラマバナ(紅花染料「紅餅」)の収穫が本格化



 多良間島村でタラマバナ(紅花)の収穫が本格化する中、染料「紅餅」の加工も始まっている。

  摘み取った花弁を杵でついて団子状にするが、鮮やかな紅色を出すため様々な工程があり、根気と熟練の技術が求められる。できた紅餅は「たらま紅紬」など織物を染めるのに使われている。

 たらま花保存会では紅花の産地山形県から伝統工芸士を招き、江戸時代から続く紅餅の作り方や染色技術を学んできた。花を材料とする染料はめずらしく、紅餅は100c3000円で取引されるという。

 この日は2`の花弁を材料に、会員で染織をやっている豊見山ミヨさんと来間勝子さん、タラマバナでお茶などを作っている外間エミさんが作業を行った。

 先ずは収穫した花弁を何度も水洗いして黄色の色素を溶け出させ、数日間陰干で発酵させる。発酵した花弁を杵でつき、団子状に丸めてから平たく伸ばし天日で乾燥させる。

 黄色色素を抜き、発酵させ天日干しするのもより鮮やかな紅色を出すためだという。

またタラマバナは開花から色が変わっていくが、咲き始めの黄色や終わりの赤の時ではなく、盛りのオレンジ色が良いそうだ。

 最初に染める「1番染め」は黄色、染めを重ね手を加えていくと2番は淡いオレンジ、3番はピンク、4番目に紅色に染まっていく。作業中の温度やタイミングで仕上がりも変わってくる。
(宮古新報)





【酔駄言】☂☂ 20/22℃:95/86%:42mm:0mh:夜来の☂が夕方まで降り続き涼しい1日

ベニバナ(紅花)は山形県ではベニバナが県花になっており、キク科ベニバナ属の一年草または越年草で、紅色染料や食用油の原料として栽培されている。高さは1m。花期は6 - 7月で、枝先に頭状花をつける。花は、はじめ鮮やかな黄色で徐々に赤くなる。
(写真もWikiより)



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2017年06月16日

☂|☁ 明日のAKB中止

☂|☁ 明日のAKB中止
梅雨末期で前線停滞 大雨洪水警報もでた

 今日は伝えたい沖縄話題なく本文はお休みしました




【酔駄言】☂|☁ 22/23℃:91/79%:25mm:0mh : 5日続きの雨の中を病院へ。内科と眼科を月1で経過観察のため外来しているが、今日は初めて同じ日に時間差で予約をした。内科の肺炎は血液検査の異常もなく順調、眼科も白内障/緑内障は進行していないということで、いつもの薬を院外処方で受け取って帰宅は13時。



 明日の沖縄は日中は強雨の予報で、雷雨警報/注意報も出る可能性があり、豊見城で行われる予定のAKBイベントは中止となった。せっかく時間と金と人手を費やして準備された会場は、連日の大雨で水浸しとなっていて屋外のイベントは断念したとのこと。そりゃ沖縄の平年の梅雨明けを無視したからだ。

 数万人のAKBフアンが押しかけるということだったが、那覇周辺のホテルはキャンセルが相次いでいるというが、ホッとしたのが警察で交通渋滞と会場警備で戦々恐々としていたとか。

 それより会場のビーチにウミガメが産卵し、自然保護団体が踏み潰されないように囲いをしたらしいが、さいわい人災を免れたが大雨の影響が懸念される。砂浜を20〜30cm掘り下げて産卵しているが、大雨による砂の流失や低温で卵の孵化が妨げらればければよいが・・・





タグ:梅雨
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2017年06月15日

育陶園6代目作陶展

育陶園六代目窯主「高江洲忠作陶展」
壺屋焼ロケットや抱けない抱瓶、一刀彫刻の大壺や龍巻壺

高江洲忠作陶展.jpg  育陶園6代目陶主・高江洲忠氏の作陶展が、13年ぶりに開催されて行ってきた。

 数年前に病で倒れ思うように作陶が出来ない日々の中、忠氏の得意の線彫魚文をはじめ、壺屋焼ロケットや抱けない抱瓶、一刀彫刻の大壺や龍巻壺などの大作が展示されている。今のこの瞬間にしか出せない、パワーあふれる作品の仕上がりとなっている。
高江洲忠作陶展1.jpg 高江洲忠作陶展2.jpg
会場の写真が取れなかったので育陶園FBから拝借
高江洲忠作陶展4.jpg
写真はクリックすると別ウィンドウに拡大表示される
高江洲忠作陶展3.jpg
高江洲忠作陶展5.jpg





【酔駄言】☁|☂ 24/26℃:91/75%:1mm:0mh : 時折り☂がぱらつき涼しい1日

 育陶園窯主の作陶展に那覇で1番の商業街、県庁前パレットくもじのりゅうぼうデパートに行った。県庁/市役所や沖縄のビジネス街には昨秋以来、そのときも安里貴美枝さんの作陶展であった。タクシーの車窓から眺めた国際通り西端の県庁前は、ビルが立ち並び近代的な町並みで旧那覇4町の一角。

 壺屋の旗頭は戦前戦後には隣接の久茂地町会で、大綱挽旗頭をに参加していた由縁がある。旧那覇の浮島と首里王府の中間に位置する、壺屋村に統合されたやちむん村落で、陶業を営んだ高江洲家の分家の育陶園(旧高江洲陶器所)の、6代目の窯元が作陶展を13年ぶりに開催した。

 6代ということは1代で平均20〜30年とすると120〜180年にもなる。もっとも6代目というのは先代から聞いた話で、それ以前の系図や戸籍も戦災で失われ辿れないという。高江洲本家は壺屋統合時のナナチネー(7家)カマニー(窯根)で、古文書にもペーチン(士族)家と記されている。

 壺屋にはナナチネーの本家が10数年前まで窯を維持していたが、先代が亡くなって窯を閉じたのが重文の新垣家で、分家筋でも14〜15代というから壺屋統合330余年の歴史がある。未だに名乗頭に「常」や「康」を頂く陶家もあるが、当代はほとんどが現代風の名前を親から付けられている。


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2017年06月14日

月夜 オカガニ浜下り

月夜にオカガニ浜下り
月夜の神秘 オカガニ浜下り 宮古島市の池間島


  宮古島市の池間島でこの季節の月夜の神秘、オカガニの“浜下り”が始まりました。8日夜、月明かりに照らされた池間島の海岸には、お腹にたくさんの卵を抱えたオカガニが続々と集まりました。

 国内では南西諸島に生息するオカガニは、夏の満月前後の夜に普段いる内陸から海辺へと移動し、腹部に抱えた卵からゾエア幼生と呼ばれる子どもを一斉に海に放ちます。

 8日夜の“浜下り”は午後9時頃に始まり、オカガニたちは打ち寄せる波にもまれながら体を激しく振って無数のゾエヤ幼生を大海原へと送り出していました。

 オカガニたちの神秘的な命の営みはこれから9月頃まで続きます。
(6/9 RBCテレビ)


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
オカガニ
 おかがに / 岡蟹・陸蟹 land crab [学]Cardisoma hirtipes

節足動物門甲殻綱十脚目オカガニ科に属する陸生のカニ。沖縄県八重山(やえやま)列島から南太平洋、インド洋西部の島々まで広く分布する。海岸近くのアダンなど海浜植物の生えている地帯から、河川に沿っての畑や堤防など比較的乾燥している場所まで生息していて、海岸から数キロメートルも離れた場所まで達している。

 甲幅6センチメートルに達する大形種で、甲が著しく硬い。外形はサワガニに似ている。甲面は滑らかで、甲の側縁が大きく湾曲し、眼窩(がんか)外歯の直後に小さな切れ込みがある。はさみ脚(あし)は左右で大きさが異なる。6〜8月の満月か新月前後の大潮時、日没後に巣穴から出て波打ち際で幼生を放つ。





【酔駄言】☂☂☂ 23/27℃:89/94%:50mm:0mh : 那覇にも大雨・洪水警報がでている。夜半から断続的に雨が降り続け、夕方には20mm近い強い雨が降った。壺屋は幸い琉球石灰岩の丘陵地で、下水も完備しており大雨でも洪水のおそれはないが・・・

 近場では安里川やガーブ川が氾濫したこともあるが、その両川に挟まれた台地で、近世はナーファ(那覇内海)の波打ち際だったと県史にあった。その海運の利と、両川の堆積土が陶土(荒焼き)に向くため、壺屋に窯場が集められたという。

 那覇はその内海から名付けられたとかいゝ、浮島だった旧那覇四町の周りが全て埋め立てられ、今日の旧那覇市街地が形成されたこともあり、下町では低地が多く浸水の危険地帯が多く、ハザードマップにも記載されている。


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2017年06月13日

リュウキュウアイ激減

リュウキュウアイが激減
リュウキュウアイが激減 塩害や高齢化 染織工芸打撃


かめで水に漬け込んで発酵させ藍の色素成分を抽出

深い藍色に染められた宮古上布

 芭蕉布や宮古上布、琉球絣など、沖縄県内のさまざまな伝統染織に欠かせない染料の琉球藍が不足し、沖縄の工芸振興に影を落としている。原因は台風による塩害などの気象要因や農家の高齢化で、原料となる多年草「リュウキュウアイ」の収量が激減したことだ。

 琉球藍の県内生産量の9割以上を占める琉球藍製造所(本部町伊豆味)では過去2年、県内需要の目安とされる4トンの3分の1ほどに生産量が落ち込み、昨年は出荷調整を余儀なくされた。

 リュウキュウアイの収穫期は5〜6月と10〜11月の年2回。日陰を好み、日光や高温に弱いため、栽培場所は山あいの斜面が多く、育成には豊富な水が必要とされる。葉は水に漬けて発酵させるなどして「泥藍」と呼ばれる状態に精製し、織物産地に出荷される。

 激減の発端となったのは近年、本島北部地域を襲った雨が少ない台風だ。海から吹き上げられた塩が雨で流されず、山あいのリュウキュウアイ畑を直撃し、生育を阻害した。2年前の梅雨が短期間だったことも収量を押し下げる要因にもなった。

 琉球藍製造所では、琉球藍の不足分は前年までの在庫を切り崩して出荷していたが、昨年1月に底を突いた。契約農家も高齢化で現場を退く人が相次ぎ、昨年の生産量は約1・4トンにまで落ち込んだ。同製造所では需要が高かった1970〜80年代には年間約7トンを出荷していた。

 同製造所を運営する仲西利夫さん(64)は「昨年は取引年数の長い所から優先的に出荷せざる終えなかった」と振り返る。今年は農家の後継者を探したり、農地を増やしたりして、3トン超の確保を目指している。

 宮古島市や多良間村で製造される宮古上布は深い藍色が特徴で、多くの琉球藍が使われる。宮古織物事業協同組合の神里佐千子専務は「生産者は藍不足に苦心している。注文に対し、織物の出荷も待ってもらっている」と厳しい現状を訴える。
(6/7 琉球新報)





【酔駄言】☂☂/☁ 24/29℃:94/74%:14mm:0mh : 今日もAMにやゝ強い☂

 藍といえば阿波の徳島が有名だが原料や製法は知らない。リュウキュウアイと同系の植物なのか、製法も似ているのかも判らない。そもそも藍染の衣装は着た記憶がないし・・・ 出藍の誉れという言葉を知っているが、そのいわれや使い方も知らないなぁ・・・

 藍染は衣料用の染料で草木染めの代表格だろう。染料系の絵の具は水彩画で高校までは使っていたが、デザイン学校に入ってからはじめて、顔料のポスターカラーを使いはじめた。それ以来10年近くG.デザイン業でいやというほどポスカラを使った。

 だから藍は顔料のプルッシャンブルーが近いと思う。デザインではブルー系はすべて鉱物が原料だ? 焼物では呉須など植物系の上絵釉薬から、戦後は西洋から輸入された鉱物のコバルトが用いられ、壺屋焼でもリュウキュウブルーが登場した、と生半可な知識・・・

 デザイン業界から足を洗いコンピュータ業界に移ったが、パソコン(マイコン)の画面色は光学的で、RGB3原色x16の組み合わせだった。光学色彩は色を混ぜると濁らずRGB3原色では透明になる。画材では混ぜると濁り3原色では黒になることはご存知の通りだ。


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2017年06月12日

あじさい園花づくし

アジサイ園花づくし
よへなあじさい園の花々

P1060852.JPG  昨日、壺屋町民会の遠足でバス2台を連ねて、本部半島の中央部に位置する山間の「よへなあじさい園」へ行ってきた。

 元は山の斜面でみかん畑だったが、先代の饒平名うとおばー(100才)が、趣味であじさいを植え増やしてきたという。

 今ではあじさい園がメインで1万株(4万本)の、あじさいが山の斜面に咲き乱れている。

写真はクリックすると新ウィンドウで拡大できます
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【酔駄言】☂☂/☁|☂ 27/29℃:94/90%:14mm:0mh : 昼前にやゝ強い雷雨、名護では20mm/hを越す強い雨が降った。昨日でなくったよかったものゝアジサイ園では大変だったろう。そもそも紫陽花はしとしと降る梅雨に濡れそぼる風情がふさわしいが、カンカン照りも大雨も鑑賞には不向きだ。

 前住地の狭い庭にもあじさいが1株あって、40年以上を経て大株になって梅雨時は咲き乱れていた。旧わが家だけでなく町内の庭々にも咲いていたし、紫陽花の名所はそこかしこにあった。やはり群生する寺社のあじさいが風情があり、沖縄では珍しいのかもしれない。


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2017年06月11日

あじさい園へ遠足中

あじさい園へ遠足中
ただいま「よへなアジサイ園」へ行っています


 以下は産経新聞の「産経抄」コラム、アジサイ園のレポートは明日に書きます;

 「朝の詩(うた)」の欄にアジサイをテーマにした作品が登場すると、そろそろ梅雨の季節である。今年も例外ではなかった。「紫陽花は雨の中 ただただ静かに その身を濡らす」。今月3日に掲載された、「紫陽花のような」の一節である。作者は、雨に打たれながらもけなげに咲く花に、自らの人生を重ねていた。

 ▼日本原産のアジサイは、もともと「あづさあい」と呼ばれていた。「あづ」は集まる、「さあい」は藍色を意味して、青い花が集まった様子を表している。唐代の中国の詩人、白楽天が「紫陽花」と名付けて、漢字表記が日本に伝わった。実は白楽天が愛(め)でたのは別の花だったらしいが。

 ▼アジサイはかつての日本では、それほど人気のある花ではなかった。理由の一つが、白から赤や青に次第に花の色を変えていく特徴である。「七変化」の別名があり、心変わり、無節操に通じるとされていた。

 ▼万葉集には、アジサイを例に引いて人に欺かれたことを嘆く、大伴家持(おおとものやかもち)の歌がある。明治になっても、正岡子規は、「紫陽花やきのふ(昨日)の誠けふ(今日)の嘘」と詠んでいる。アジサイのイメージがプラス方向に変わったのは、戦後になってからだ。

 ▼アジサイの色が変わるのは、細胞に老廃物がたまる、いわゆる老化が原因だという。もちろん他の植物も同じように老化する。アジサイほど目立たないだけだ。何より花の寿命が極めて長いために、色の変化をたっぷり楽しむことができるというわけだ(『アジサイはなぜ七色に変わるのか?』武田幸作著)。

 ▼「花の命はけっこう長い」とテレビCMでも歌われている。年齢を重ねても、別の魅力を発揮できる。長寿社会で、アジサイがもてはやされるのも当然かもしれない。
(6/9 産経新聞)





【酔駄言】☀☀ 27/30℃:92/74%:0mm:40mh : 暑かった、今年はじめて汗をかいた

 町民会の遠足=バス2台のツアーで、本部半島山間のよへなアジサイ園へ行ってきた。感想のベストスリーは@暑かった A人と車が多かった B疲れた アジサイ園は元々傾斜地のみかん畑を、アジサイ園に転換しただけに斜面を彩る花々は美しかった。

 その山間の斜面をめぐる順路は細くて足場が悪く、炎天下を押し合いへし合い巡るのは断念した。観光バスが5台で約250人、マイカーが100台以上約400人が駐車場待ちで地道を埋め尽くし、園内は大混乱のおしくらまんじゅう。もう2度と行きたくないなぁ・・・


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2017年06月10日

ペリー探検隊(下)

ペリー探検隊(下)
「シタンバイ」という不思議な言葉
スタンバイが語源?




 今から160年余り前、ペリー探検隊は6日間かけ沖縄各地を歩き、地名を名付け記録した。シマンチュを驚かせたウランダー(外国人)たちの奇妙な行動が、恩納村と中城村に伝わる。

 行程第4日、1853年6月2日。探検隊は、金武間切を出発、漢那から西海岸へと横断し、名嘉真に入った。山越えで疲れ果てた一行が泊まったのが恩納間切の番所(役所)だ。

 探検隊が行程2日目の5月31日に通過した中城村新垣。ここでは「松林から高くそびえる不思議な岩」によじ登った。東西が見渡せる絶景に、岩に米国旗を立て礼砲を発射し、「旗岩(バナーロック)」と命名した。

 岩は、地元で「ターチャーイシ(二つ岩)」として知られてきた。2015年国指定史跡となった中城ハンタ道の途上にある。「昔はガジュマルが生えていて、2つの岩の間を渡ることができた。

 「沖縄訪問記」は、あっけにとられた地元の人々の姿を記録する。艦隊の公式記録である『沖縄訪問記』(外間政章訳)は、恩納間切を、繁栄した大きな集落として紹介する。

 番所や美しい風景など、探検隊は疲れを癒やすのにぴったりの場所と考えたようだ 恩納のしまくとぅばには「シタンバイ」という不思議な語がある。名嘉真公民館の仲嶺真武区長(67)は「中学生の頃、大人たちがサトウキビの刈り取り作業中、休憩を切り上げる時に『ハイ、シタンバイ』と言った」と振り返る。「あのころは、方言か何語か分からず使っていた」

 「シタンバイ」は英語の「STAND BY(待機する)」に発音と意味が似る。仲嶺区長は「この言葉を使ったのは当時50代より上の大人たちだ」と話す。戦後の軍作業の影響も考えられるが、「何語」か分からず使っていたことからすると、古くから伝わる言葉とみるのが自然だ。

 同村の歴史に詳しい同村元収入役の當眞嗣長さん(86)。「ペリー探検隊の一行が荷物を運ぶ中国人に、出発に備えて『スタンバイ』と言った。見物していた人々が伝えた、と聞いた」と解説する。
(5/28 沖縄タイムス 一部、文章割愛)





【酔駄言】☀ 27/30℃:92/69%:0mm:30mh : 青空が優勢で陽射しがキツイ

 明日の日曜日は町民会の遠足で「よへなあじさい園」へ行く。紫陽花は日本国中のどこにでも咲く(北海道は知らない)ので、沖縄地方の亜熱帯特有の植物ではなく、また本土よりいち早く咲くわけでもないので、沖縄発の話題としては本ブログのテーマではない。

 そして野生でもなく植栽したもので、規模も良くは知らないが全国で有数かどうか。しかし半世紀近くも「よへな(饒平名)おばー」がコツコツと植え増やしてきて、ついに100歳を越してなお現役で頑張っている! しかもヤンバルの山中に作り上げたということに価値がある。


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2017年06月09日

ペリー探検隊(上)

ペリー探検隊(上)
島人が見たペリー探検隊 未知との遭遇







 1853年5月、米海軍提督ペリーの艦隊が琉球国にやって来た。米捕鯨船の停泊地と燃料確保が目的だ。首里王府は、ペリーの首里城への強制入城など数々の要求に振り回された。一方、探検隊の行く先では、人々は恐れと好奇心をもってウランダー(外国人)を見詰めた。

 艦隊は、日米和親条約の締結をはさみ6度来琉した。同社会教育課の安座間充係長は「金武には1泊2日で、4回宿泊した」と説明。「度々来たのは、金武というところが環境が良かったからだ」と推測する。

 探検隊は53年5月30日那覇を出発。東海岸を北上し、金武、恩納、読谷山へと巡り6日後に那覇に戻った。3日目に宿泊したのが、金武町役場にあった金武番所(役所)だ。

   一行が星の観察をして星座図も残る町並里区。木々が茂る丘は「ウランダムイ」と呼ばれ、今は公園になっている。同地出身の嘉数義光金武町議会議長の幼少時、一帯は木々がうっそうと生い茂る林。「小字はグヤバル。番所のすぐ近く。元の名前はあったはずだが、記録にもない」と笑う。元の名前が消えるほど、探検隊の衝撃は大きかったのか。

 浜から沖合1キロには「エーグ岩」がある。船員が海鳥の卵(エッグ)があると集落民に教えたことが由来とされる。この岩も本来の名は伝わっていない。金武町教育委員会の町史編さん担当、玉元孝治さんは「教えた相手が、村民と岩にいた漁民の2種の言い伝えがある」と話す。

 人々が探検隊の水ポンプや時計に驚いた話も伝わる。口伝は戦後、文字記録となることで伝わった。1901年に金武間切長を務めた池原金次郎さんを祖父にもつ元校長・池原弘さんが80年代に『金武町史』などに記述した。金次郎さんの生きた時代は、ペリー来琉から数十年後。人々の驚きと好奇心を生き生きと伝えていた。

 艦隊側の記録、『沖縄訪問記』には口伝で伝わる話は記録がない。ただ、百の目が垣根や藪から探検隊を見詰めている−など、好奇心いっぱいの姿を記録する。
(5/21 沖縄タイムス)





【酔駄言】☀/☁ 24/28℃:80/72%:0mm;10mh:午後から☁青空見えず

 今日は五月ウマチー(ぐんぐゎちうまちー)と沖縄カレンダーに書いてある。ググると旧暦5月15日ごろ作物の豊作を祈る日とのこと。二月ウマチー(にんぐゎち)は麦の初穂祝い、だそうだ

 ウマチーとは「お祭り」の琉球訛りで、集落にある拝所(御嶽〉へ村の祭祀を司るノロを頂点とした神役と集落の代表、集落内宗家の代表などが神酒や供物を供え、豊穣祈願・感謝、集落の繁栄祈願を行う行事。

 一門、一族が宗家に集合し祖霊を拝み門中の繁栄を祈願する。古くは琉球王府による「麦稲四祭」の祭儀で,歴代国王も稲作発祥地とされる知念玉城を巡拝して、神前に向かってオタカベ(祝詞)を唱えたという。とか・・・


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2017年06月08日

幻想的な舞うホタル

幻想的な舞うホタル
広がる幻想世界 本部町の八重岳ふもと

 本部町並里の八重岳の麓で7日、ホタルが飛び交う姿が見られた。

 道路上にちろちろと輝く“天然のイルミネーション”は幻想的な風景を演出しており、夏の訪れを告げている。

 ホタルが飛び交うのは、県道84号から八重岳へと向かう道路沿い。

 八重岳に降った雨が木や土に磨かれ湧水となって流れ出し、サラサラと水の流れる音と相まって、涼やかなひとときを味わえる。

 見ごろは午後8時ごろから9時すぎ。
(6/8 琉球新報)





【酔駄言】☁/☀☀:26/29℃:94/54%:2mm:15mh:午後から快晴(mh=55分/時)だがエアコンOFFれず

 ♫ じんじんジンジンじんじん つぼやのジンジン・・・ 沖縄の童謡に謳われた壺屋のホタル。壺屋にはガー(井戸)が多く未だに水が出る井戸もある。壺屋の陶芸村落は安里川とガーブ川に挟まれた丘陵地で、首里城と同様に流れ込む河川がないのにガーの水量が多いらしい。

 壺屋も首里城も麓の河川が石灰岩の地下水になり、ちょっと深めの井戸を掘ると水が湧き出るらしい。首里ではその井戸水を泡盛に使い、王室御用達で庶民には醸造・飲用は厳禁だったとか。壺屋のガーはもっぱら陶土の精錬に使われた。そのための溜め池跡も数ヶ所残されている。

 壺屋で飲用に使われた水質の良いガーは、やちむん通り東入り口にある陶芸センター横のバンジュガー(番所井戸)で、そのために王府の陶器奉行の番所が置かれたともいう。やちむん通りのスージーグワァー(裏小道)は常に湧水がチョロチョロ流れていて、壺屋のジンジンと謳われた名所だという。


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2017年06月07日

虫流し豊作祈る神事

虫流し豊作祈る神事
「アブシバレー」の儀式 小舟にバッタやカタツムリを乗せ海へ




写真はグーグル画像をトリミング
 沖縄県名護市羽地(はねじ)の仲尾、川上、親川、田井等(たいら)の4区はこのほど、合同で「五穀豊穣(ほうじょう)」を祈願するあぜ払い御願と、虫舟に虫を乗せた「虫流し」の神事を行った。

 旧暦4月の第2「子(ね)」の日の年中行事で、今年は5月13日に行われた。仲尾区の国道505号沿いの山に位置する「拝原御嶽(神名・ニヨフモリノ御イベ)」に通じる拝所で、仲尾区の玉城清市区長と川上区の平光男区長が線香をたき、三枚肉を供え手を合わせた。

 仲尾海岸では親川区の宮城靖区長と田井等区の古我知司区長、ノロの警護役とされた神人代理の川上達也さん(63)らが羽地内海に向かって豊作を祈願。バナナの茎で作った虫舟にバッタなどを乗せ「虫流し」の儀式を行った。
呉我区でもカタツムリ流す

 呉我区(石嶺康政区長)はこのほど、「アブシバレー」の神事を行った。「呉我アサギ」で供え物と線香をたき、書記の河上照美さんが「豊作祈願」と「子孫繁栄」を願い手を合わせた後、真利原海岸に移動。老人会長の玉城金由さん(72)、成人会長の宮城智さん(43)らが内海に向き祈願した。

 石嶺区長が長さ約40センチ、幅20センチの芭蕉の葉の茎で作った「虫舟」にカタツムリなどを乗せて「虫流し」の儀式を行った。初めて見た宮城さんは「舟を浮かべた瞬間に進んで行ったので神聖な感じがした」と感激していた。

 その後、公民館に移動し「あしび」で盛り上った。金城松雄さん(84)と山城弘永さん(84)は来年「トーカチ」を迎える同級生。「昭和40年代まで呉我に田んぼがあり、羽地地域で一番大きかった。あぜ道の審査があり。草を刈らないと罰があった」などと懐かしんだ。
(6/7 沖」縄タイムス)





【酔駄言】☀☀:25/29℃:89/71%:0mm:50mh:☁予報がほゞ快晴で梅雨が明けたと思うべなぁ〜

 アブシバレーという言葉が虫流しとはどう考えても結びつかない。沖縄にはまだまだ昔からの伝統行事があるようだ。農業と虫流しがどう関連するのか想像がつかないが、虫を流すために小さな舟をこさえて海に流す。神聖な行事だろうけど遊び心が感じられゆかしいなぁ・・・


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2017年06月06日

”ムーチー三姉妹”

”ムーチー三姉妹”
“三姉妹”美の競演 名護市内で華やかに咲く


 梅雨入りとともにムーチー(鬼餅)を包む葉「ムーチーガーサ」として利用される、ゲットウとクマタケラン、アオノクマタケランの“ムーチー三姉妹”が名護市内で一斉につぼみを開き、美の競演で見る人を魅了している。

 ゲットウ(月桃)はムーチーガーサの人気ナンバーワン。草全体に強い芳香があり広い葉はムーチーの頃になると重宝される。黄色の花びらのように見える唇弁は仮オシベが変化したもの。花びらは光沢のある白。インド、中国に分布。

 クマタケランは畑の境界によく植えられている。花は斜上し、次第に倒れてくる。良い香りだが、ゲットウほど強くはない。葉は三種類の花の中では一番広い。唇弁は爽やかなクリーム色で紅筋が流れる。

 アオノクマタケランは小ぶり。30センチほどの花茎を直立させ、ランのように美しい花を咲かせる。白色に薄い紅色を流し、上品さが漂う。いずれもショウガ科で殺菌効果がある。やんばるではおにぎりを包むのに利用されてきた。
(6/6 琉球新報)





【酔駄言】☀/☁:25/28℃:84/69%:0mm:30mh:昨日今日は☀優勢で梅雨明け? 九州は梅雨入り

 ムーチーは「餅」の沖縄訛りで文字で書いたら想像がつく。その餅を香りが強い月桃の葉で包むのは、ヨモギ餅かさくら餅のようなものか? 残念ながら未だ食べたことがない。月桃は沖縄ではサンニンといゝ身の回りにありふれて咲いているが、そばを通りががっても香りは感じないなぁ・・・

 本土では見かけたことはないがショウガ科で、殺菌効果があるということで餅やおにぎりを包んだという。そういえばショウガの葉もあまり見たことがないが似ている。そうだ、笹の葉で包んだチマキも同じような感じか? チマキも小さいころには無理やり食べさせられたが・・・


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2017年06月05日

戦前の商店街写真

戦前の商店街写真などが発見された
戦前の沖縄写真、大量に発見 82年前に朝日記者が撮影

1935-4.jpg

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 戦前の1935(昭和10)年に、沖縄で大阪朝日新聞(当時)の記者が撮ったネガ277コマが見つかった。

 市場や漁、農作業など、人々の暮らしぶりが写し取られている。太平洋戦争末期の沖縄戦で、戦前の沖縄の写真の多くは焼失しており、専門家は「大変貴重な資料」と評価する。

 朝日新聞大阪本社の倉庫内で眠っていたネガを、社員が偶然見つけた。デジタル化し、傷やカビを修復。82年前の沖縄が鮮やかによみがえった。

 撮影したのは大阪朝日新聞のカメラマン藤本護氏(46年、40歳で死去)。社会部記者の守山義雄氏(64年、53歳で死去)とともに沖縄を訪れ、糸満や名護の漁業などを取材した。

 大阪朝日新聞に、35年7月に連載「海洋ニッポン」が10回掲載されており、写真の一部も載っている。

 見つかったネガには、漁業の様子だけでなく、にぎわう那覇の市場や、古謝(こじゃ)(現・沖縄市)のサトウキビ作り、軌道馬車や人力車などの移動手段を含む当時の生活の様子が記録されていた。

 写真については地元紙・沖縄タイムスとの共同企画とし、朝日新聞から沖縄タイムスに写真を提供。沖縄タイムスの取材により、多くの撮影場所が特定され、当時の様子が詳しくわかった。



(写真はクリックで拡大できます)
 日本写真著作権協会長の田沼武能さん:沖縄の人が撮った戦前の写真は戦災で多くが失われている。写真家の木村伊兵衛も撮っているが、東京の工房が戦火に遭い、残っているのは36枚フィルムが20本ほど。300枚近い写真が見つかったのは非常に珍しい。背景や衣服といった「時代」がしっかり写し込まれていて、当時を知る記録としてとても貴重だ。(6/5 朝日新聞)





【酔駄言】☀.☁ 24/28℃:89/70%:0mm:30mh:青空が優勢でさわやかな一日

 今日からはボース(芒種)で21日のカーチ(夏至)に至る。芒(のぎ)は稲の籾殻で種をまくこだが本土の季節感で、沖縄ではとっくに稲刈りが行われている。『暦便覧』には「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」と記されている。実際には現在の種まきはこれよりも早い。

 西日本では梅雨入りのころ。沖縄県では小満から芒種が梅雨の時期に当たり、梅雨のことを沖縄方言で「小満芒種(すーまんぼーすー)」と言う。しかし、天気予報では梅雨前線がじわじわと北上しはじめ、沖縄は明日・明後日には梅雨明け宣言がありそうだ。

 そのころに九州や四国が梅雨入りしそうで、前線の北上に伴い本土では田植えが始まることだろう。移住した6年前の6月末は関西は梅雨入り前で、沖縄は梅雨が明けていたので梅雨は経験していない。いきなり夏至を過ぎた真夏に沖縄に着いたが、木陰はカーチベー(夏至風)で涼しかったなぁ・・・


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2017年06月04日

商店街通行量調査(2)

商店街通行量調査 やちむん通りは
やちむん通りの人通りは国際通りの約1割しか

中心商店街通行量調査5.jpg  やちむん通りは26年度から調査の対象になったが、昨年度も国際通りのてんぶす前や市場通り入口と比べるとわずか約1割しかなく、集客力が極端に劣っているようだ。

 都心の陶芸卿とアクセスが容易な恵まれた場所なのに、周辺部には観光客が多いのに魅力に乏しいのか寂しい限りだ。やちむん通りに面するところに居を構えているが、人通りは休日でも1時間に166人、10分あたりで20人にしかならない。

 沖縄を訪れる観光客は亜熱帯の温暖で蒼い海と青い空に惹かれ、陶芸なんかに対する興味があまりないのかもしれない。
(上下の画像はクリックで新ウィンドウに拡大表示が可能)

 昨日の記事にあった国際通りのてんぶす前(休日13,373人)や、市場通り入口(13,320人)からわずか3〜400mという、近場に位置するやちむん通りにアクセスするには3つのルートがある;

中心商店街通行量調査.jpg

 国際通りの市場通りとてんぶす間は、平和通りを挟んでわずか100mたらずで、多くの観光客が行き来している。てんぶす前からは桜坂通りを南下し、那覇市のおしゃれゾーンである桜坂劇場やハイアットホテルを経て、やちむん通りまではほんの300mちょっとしかない。

 市場通りからは公設市場から平和通りに合流して、市場の衣料部前を経由してわずか400m前後だ。それらの人通りをやちむん通りに誘導する工夫はなされているが、現実には約10%しか足を向けていないのはさらなるアイデアが必要だろう。





【酔駄言】☁ 24/27℃:91/75%:0mm:0mh : 午中から薄日差し湿気が少なくエアコンOFF

 小満とともにはじまった梅雨は明日の芒種ごろに明け、いよいよ21日には夏至を迎え本格的な夏を迎える。沖縄ではこの梅雨の時期を「スーマンボース」と呼び、「カーチべー(夏至喃風)」の梅雨明けの南からの強い風が吹き続け、沖縄は本土ほど気温が上がらず木陰は涼しい。


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2017年06月03日

商店街通行量調査

中心商店街通行量調査 那覇市まとめ
人通り 平日の公設市場最多 観光客でにぎわい

中心商店街通行量調査1.jpg

中心商店街通行量調査3.jpg

中心商店街通行量調査2.jpg

(上記の画像はクリックで新ウィンドウに拡大可能
拡大表示された画像はクリックで全画面表示される)
 那覇市がこのほどまとめた2016年度の「中心商店街通行量調査報告書」によると、平日の中心商店街の通行量では第一牧志公設市場北東付近が最も多く、1日で1万8684人だった。多くのビジネスマンが行き来するパレットイベント広場前よりも公設市場周辺の方が人通りが多かった。市経済観光部は「観光での来訪者が多いのでは」と推測した。

 通行量調査は1983年から始めており、2014年度以降は毎年実施している。16年度は16年12月8日に平日、12月11日に休日の通行量を調べた。調査地点は国際通りから平和通り、県庁前など中心商店街の19地点。午前10時から午後7時まで1時間おきに延べ5時間を調査。中学生以上の徒歩通行者を対象に数えた。

 平日全体の通行量は16万1511人、休日は18万879人だった。休日で最も多かったのはテンブス館広場前で1万4914人だった。市は「日曜のトランジットモールが大きな集客力になっている」とみる。

 過去10年継続し調査している地点のみで推移を調べると、平日は9万7925人で10年前の11万1816人には届かなかったが、前年度より6555人増えた。休日の通行量は11万7856人で10年で最も多かった。

 平日最も通行量が多かった公設市場付近は、16年度調査から初めて調査対象になった。市民意識調査で公設市場などマチグヮーに行くと答えた市民が減少傾向にあったが、通行量は中心商店街の中で突出して多かった。目視では「修学旅行生や中国系の観光客が目立っていた」とした。

 ほかにも、国際通りの中心である国際大通り、国際中央通りで通行量が昨年度より増えているほか、平和通りや平日の水上店舗沿い、沖映通り、パラダイス通り、壺屋やちむん通りも増加傾向にあった。
(5/30 琉球新報)





【酔駄言】☁ 24/27℃:92/72%:0mm:10mh : 午中から薄日で湿気が下がるもムシムシ

 那覇市の中心商店街は1日あたり16万人で、ほとんどはゆいレールの県庁前から牧志間の国際通りで、中でも休日は市場通りとてんぶすの100mに集中している。そこでは1時間あたり約1,700人で10分に280人の計算だ。1分間だと28人というが、その過半数は中・台・韓などからの観光客らしい。

 国際通りや市場通り/平和通りなどのマチグアァーは、ナーハンチュらは休日の観光客で混雑を避けて、平日に買い物をするようだ。観光客はせいぜい市場通りから公設市場までで、市場の衣料部では人通りが3分の1にに激減する。この辺りが那覇市民の買い物の中心地だと言うことだ。


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2017年06月02日

超早場米収穫始まる

超早場米の収穫始まる
きらり 超早場米 石垣で収穫始まる

 沖縄県内一の米どころ、石垣島で超早場米の収穫が始まっている。

 温暖な気候を利用した二期作が主流の八重山地方。石垣市登野城の農家大浜博彦さん(82)の同市名蔵の水田では1日、実の重さで穂先が垂れた黄金色の稲穂が、機械で次々に刈り取られた。

 JAおきなわ八重山地区営農振興センターによると、一期目の刈り取りは2〜3月の低温と日照不足が響き、例年より1週間から10日ほど遅れているという。石垣島と西表島での収穫は5月29日に始まり、7月上旬ごろまで続く見通し。

 9日には石垣島での販売が開始され、本島でも6月中旬には流通が始まるという 大浜さんは「収穫は遅れたが豊作で、良い米が育った。非常においしいので、たくさん食べてほしい」と語った。
(6/2 琉球新報)





 沖縄は梅雨末期の長雨が続いているが、今月中旬頃から本土でも南から順に梅雨入りするだろう。東北の梅雨入りはいつごろからだろうか、そのころには田植えもはじまっているだろう。



【酔駄言】☂☂(/☂) 24/27℃:98/96%:33mm:0mh : 梅雨らしい☂続き、湿気でムシムシ

 お米は私にとっては大事な主食で毎朝かかさず食べている。3食中で最も重視してる朝食で一汁一菜で食している。一汁は麦と赤だしの合わせ味噌にきざみ薄揚げ、生ワカメにアーサー(あおさ)とすりごまに乾燥わけぎ。一菜は自家製のキュウリ/ナスの浅漬けで味付け海苔で半膳。

 残りの半膳は溶き卵で食べるがなんと言ってもお米が主食。とぼしい経済生活だがお米はコシヒカリの無洗米(1,200円/2kg)、産地は問わないが新潟や北陸産を贖っている。別にブランド崇拝ではないが同等の値段ならコシヒカリを選んでいる。残念ながら沖縄産米は買ったことがないが・・・


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2017年06月01日

広報なは6月1日1面

広報なは6月1日1面
栄町から平和を発信し続ける
〜ひめゆりの変わらぬ思い〜



文字が小さくて読みにくい時はこちらのPDFで





【酔駄言】☁(/☂) 23/28℃:96/84%:1mm:0mh : 今夜から明日の昼までまとまった☂とか

 間もなく73回目の慰霊の日がやってくる。広報なはでもひめゆりの話題を1面に掲げた。沖縄はもはや戦後ではなく未だ戦後なんだ。焦土と化したのは沖縄だけでなく全国各地に及んだが、艦砲射撃と地上戦という過酷で悲惨な経験は沖縄だけだ。

 戦後73年ということは記憶にとどめている世代は80才前後、戦後生まれでさえ73才とほとんど一昔前になる。この期間では1〜2代も代替わりをしていることになる。現役の2代目や3代目は戦争を知らない世代だ。しかるに未だ沖縄戦を引きずっているのは・・・


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2017年05月31日

「幻の島」出現!

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「幻の島」出現!
美ら海沖に出現! サンゴ群生、海洋生物の楽園

 本部町の水納(みんな)島と、伊江島の間に位置し、大潮の干潮時の限られた時間にだけみられるナカンシ(中ノ瀬)が27日午後2時ごろ、海面から姿を現した。
 本部町健堅の浜崎漁港から船で約20分の沖合、クロワッサンのような形をしたサンゴ礁の「陸地」が見えてくる。半円状の直径は約700メートル、水納島の3分の2程度の大きさだ。

 ナカンシにはスイジガイやアズキイボヒトデなどの海洋生物が生息。サンゴの白化は見られず、周囲にはハマサンゴやミドリイシなどが群生している。(5/31 沖縄タイムス)
 本部町博物館学芸員の江口博子さんは「今の姿から想像できないが、大正時代には砂浜があり、アダンも育っていた。追い込み漁をする漁師の休憩場となっていたと言い伝えられている」と話した。







【酔駄言】☂/☁ 24/24℃:92/90%:10mm:0mh : 午中に☂が止み夕方には青空

 今日で五月尽、今月の個人トピックス(1)は次兄の訃報、(2)はやちむん通りのライブ中継の中止、(3)は呼吸器の経過観察は順調。(4)は梅雨入りで(5)平穏無事にすごせたこと。これが一番の幸せということだろう。加齢による体調が悪いなり無事これ老馬なり・・・

 老体に鞭打って週に1〜2度は近場への外出で、行く先々で短いゆんたくをし孤老を癒やしている。病院の他、陶芸会館の事務室で町民会の事務スタッフと遠足の話題や、育陶園本店で女将さんや事務所の綾子さんとも会った。行きつけの散髪屋さんは神戸で修行し店を持ったが、大震災で倒壊し沖縄に帰郷したとか。

 日々の大半はパソコンで仮想の海外旅行を楽しんでいる。今春からはイギリスの運河巡りや島嶼の終着駅を探訪し、ストリートビューで風景を撮りだめしている。それらの各地を英文ウィキペディア(和訳)などで調べ、仮想旅行先の情報を取得し、ホームページを作ることも楽しい余生だ。


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2017年05月30日

メディニラ・マグニフィカ満開

メメディニラ・マグニフィカ満開
アジサイよりお先に…ピンクの “房” たわわ
よへなあじさい園でメディニラ・マグニフィカの花が見頃


 本部町伊豆味にある「よへなあじさい園」でアジサイより先にメディニラ・マグニフィカの花が見頃となっている。

 ピンク色の大きな苞(ほう)に包まれており、その中からコーラルピンクの花がブドウの房のように咲いている。たくさん咲いているのは珍しく、アジサイを見に来た人たちも思わず立ち止まり見入っていた。

 同園の仲村洋子さん(73)は「例年ならアジサイが咲き終わった後に開花するが、今回は先に満開となった。6月上旬ごろに満開となるアジサイと一緒に楽しんでほしい」と話した。
(5/27 琉球新報)

 ディニラ・マグニフィカ、大葉宿野牡丹(オオバヤドリノボタン):(以下、FLOWERsさんサイトより)花期は5〜8月頃で、枝の頂点から長い花茎が下向きに垂れ下がります。花はピンク色の大きな苞に包まれており、その中からブドウの房のように細かく枝分かれした花房が出てピンク色の小花を咲かせます。

 垂れ下がる花の姿がシャンデリアに似ているため、別名「シャンデリア・ツリー」とも呼ばれています。 高さ150〜200cm程の常緑小低木。葉は広卵形で対生し、葉柄はありません。濃い緑色に黄白の葉脈が入っています。

 高温多湿を好み、寒さは苦手で冬でも15℃以上の温度が必要です。属名のメディニラは19世紀初頭、マリアナ諸島の知事であったピネダのメディニーリャ(J.de Medinilla)の名に因みます。種小名のマグニフィカは「規模の大きい」と言う意味です、これはメディニラの中でも本種が大型の部類に入るために付いたとされます。





【酔駄言】☁/☀:22/28℃:90/82%:1mm:15mh 明日から1週間は☂の予報
 よへなあじさい園には来月11(日)に町民会の遠足で行く。それにしても「よへな」とは地名か人名か? Googleでは一発で『饒平名』と変換された。ヤマトゥーなら「ぎょへいな」としか読めない。典型的なウチナァー3文字名だ。宜野湾の読みは「じーのん」だし・・・

 昨日は「ユッカヌヒー」で今日は「グングヮチグニチー」と地元のカレンダーに書いてある。それには(旧5月4日)と(旧5月5日)との注釈。ユッカヌヒーは4日の日でグングヮチは5月、グニチーが5日のウチナー訛で文字で書けばなるほどだが、会話で喋られては到底聞き取れず理解不能だ。

 旧暦5月4日は各地でハーリー(ハーレー)が行われるが、戦前の沖縄ではこの日は子供の健康や成長を願ってオモチャを買ってあげる慣わしがあったという。昔は子供たちにとって年に1回のおもちゃ市が建ち並ぶ楽しい「子供の日」でもあった、とのこと。

 旧暦の5月5日は端午の節句で今では新暦の5月5日が「こどもの日」。沖縄ではもともとは端午の節句としてはじまったそうで、仏壇に甘菓子と菖蒲を捧げて健康祈願をしていたそうだ。子どもの日は前日のユッカヌヒーと言って区別をしていた、とか・・・


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2017年05月29日

“梅雨の花々”競演

“梅雨の花々”競演
慶良間諸島渡嘉敷島




 渡嘉敷島の大谷林道を散策したりドライブしたりすると、沿道に梅雨時季の5〜6月に見頃を迎える在来種の自生植物の花々を楽しめる。ツル性の低木のコンロンカ(アカネ科)は緑葉に交じり白葉が一層に目立ち、枝先の中央に小さな黄色の花を咲かせている。

 白いかれんな花を咲かせるイジュ(ツバキ科)やゲットウ(方言名・サンニン)も満開で花の香りに引き付けられる。また、クロツグ(方言名・マニ)はヤシ類の仲間で花はブラシ状の鮮やかな黄色い花を咲かせ、ビー玉状の果実を付ける。

 渡嘉敷島戦跡巡りツアーで訪れた野島礼子さん(42)=福岡=は「本土にはない花々を楽しめた」と話し、撮影していた。
(5/28 琉球新報)





【酔駄言】☀ 21/26℃:90/80%:0mm:30mh 予報ハズレで朝から陽射し



 今朝のグーグルは「美空ひばり生誕80周年」だった。そうか、もし生きていたら80才だったんだなぁ・・・ 亡くなったのは1989(平成元)年6月で享年52才だった。それから28年と四半世紀以上にもなるのに、未だに彼女を超える歌手は出現していない(と思う)。

 一週間前の日曜日に次兄が亡くなったと、水曜日に長女から連絡があった。既に葬式を済ましたとのこと。享年80才でひばりと同い年だったんだなぁ。既に長兄も3年前に81歳で逝ってしまって、ボク独りだけになってしまった。

 移住直前に兄弟3人で分かれの宴をした。別れ際に「ボクは年金ギリ生活やから、兄貴らの葬式にはよう行かんでぇー」と言った通りになってしまった。金は無いけど育陶園の同じティーワン(手椀)を仏前にと送った。


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2017年05月28日

幻のイリオモテラン咲く

幻のイリオモテラン咲く
絶滅危惧種の幻のラン イリオモテラン

 自然界ではほとんど見られなくなったイリオモテランが、愛好者の手で見事、名護市内で開花した。

 自然林の樹幹に着生する。着生ランの中では最大級とされる。石垣島や西表島ではかつて見られたが、もともと少ない上に乱獲などでほとんど見られなくなった「幻のラン」だ。県と環境省は絶滅危惧種に指定している。

 名護市の愛好家らが40年ほど前に市販されていたものを手に入れヘゴに着生、大事に育ててきたという。花茎は4本も出て大株だった。茎の根元から新しい株が出てくるのでよく増えるという。

 花は淡黄色で内面に紫褐色の斑点が入る。葉はバンダに似て厚い革質で長さ15センチほど。分布は西表島や台湾など。ラン科。
(5/27 琉球新報)

 イリオモテランは別名で入面蘭(ニュウメンラン)とも言う(以下、ryudesuyo4さんのブログより);

 環境省のレッドリスト(20007)からはニュウメンランに名が変更されている。「入面」の由来がわからないので名を改めた理由もはっきりしない。「入面」は「西表」の誤記とする説もある。ラン科ニュウメンラン属の多年草で沖縄県の石垣島、西表島、尖閣諸島に分布し、山地の林に生える樹の幹に着生する。

 海外では、台湾、フィリピンにも分布する。ただし、フィリピンに生えるものと区別する見解もあり(Trichoglottis luchuensis)、国ではこちらを採用しているが沖縄県では Trichoglottis ionosma のほうを採用している。

 草丈は20〜70センチくらいで茎は堅くて直立し、しばしば枝分かれをする。葉は線状の長い楕円形で、互い違いに生える(互生)。葉は革質で分厚く開花時期は4〜6月くらいである。葉の脇から総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)を出し、淡い黄色の花を疎らにつける。花冠の内側には紫褐色の斑点が入る。唇弁は白く、紅紫色の小さい点が入る。

 属名の Trichoglottis はギリシャ語の「trichos(毛)+glottis(舌)」に由来する。毛のある唇弁という意味である。種小名の ionosma はギリシャ語の「ion(すみれ)+osma(臭い)」からきている。 種小名の luchuensis は「琉球の」という意味である。学名:Trichoglottis ionosma(=Trichoglottis luchuensis)





【酔駄言】☂:21/21℃:74/94%:12mm:0mh : 終日の雨で気温↓ 湿気↑ エアコンで除湿

 家庭などで愛好家が栽培する草花はそれなりに価値はあるけど、やはり草花は手付かずの自然に自生する野生が好ましい。このブログでも新聞やテレビの報道を目にして載っけているが、身の回りの道端にド根性で咲く野草が多い。外出の機会に目についた野の草花を手折って位牌に供えている。

 いまは子どもころに身近にありふれていたオシロイバナ(白粉花)を、位牌前と台所に飾っている。この花は女郎花とも言うが子供の頃には女の子らが、花をもんで染料にして布などを染めていた。江戸のころには女性の化粧品の原料になったのか、女郎花と名付けられたのだろうかなぁ。

 花の名は土地によってはいろんな名付けがある。例えば彼岸花は前住地の北部の田園地帯に咲き乱れていた。大阪の下町から移り住んだ身にとって田んぼの畦に群生するさまは壮観で、名前は彼岸花と知ってはいたが曼珠沙華ともいゝ、野辺送りの不吉な花という地方もあるようだなぁ・・・


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2017年05月27日

四二〇歳陶藝六人展

四二〇歳陶藝六人展
古希を過ぎた73歳から76歳までのクラブの6人


 古希を過ぎた男性のグループによる陶芸作品を集めた展示会が北中城村で開かれています。  「四二〇歳青春陶藝六人展」と名付けられたこの展示会は、古希を過ぎた男性でつくる陶芸クラブが開いたものです。

 5回目を迎えた展示会には73歳から76歳までのクラブのメンバー6人が制作したシーサーやコーヒーカップ、花器など110点の陶芸作品が出品されています。

 それぞれ10年以上の陶芸のキャリアがあるということで作品からは創作意欲と活力が感じられます。

 「それぞれですね、非常にみんな特徴がありますので、これはこういうところがいいなと、自由な気持ちで、自分が好きなのがいいという感じでみていただきたい」(四二〇歳青春陶藝クラブ代表・安里幸男さん(76)

 この展示会は北中城村役場で26日まで開かれています。
(5/25 RBCテレビ)





【酔駄言】☀/☁:23/27℃:77/63%:0mm:20mh : エアコン28℃自動で室温26℃湿度60%

 陶芸クラブの6人は73〜76歳で合せて420歳という。いずれも10年以上も陶芸を嗜んでいるアマチュアらしい。代表者は76歳の最高齢者で陶芸教室を併設の陶芸家かも。10年以上ということは60歳頃から陶芸を始めたことになり、リタイアしてからの趣味だろうなぁ。

 ボクも代表者と同い年だが陶芸は70からはじめた。移住前から近所に陶房があり教室も開いていたし、自治会役員同志で顔なじみだった。当時から陶芸には関心があったが通えなかった。だけど休みのたびに立杭に通って手びねりをしていた。なんで近所なのに・・・

 6年前に公私のすべてを精算し沖縄に移住したが、終の棲家に選んだのが海辺でなく壺屋だった。なぜ壺屋だったのかは2つの理由があり、老後の医療・介護のためには沖縄最大の那覇市であること、そして老後の楽しみに陶芸を始めたいこと。そう、都会のど真中の陶芸集落が壺屋であった。

 移住した11年の秋から陶芸道場に通い始めた。3ヶ月x12回の壺屋焼基礎コースを4期通い、壺屋焼の基本技術を一通り学んだ。ロクロ成形から線彫・緑釉・赤絵などで各種の器を作った。そして基本コースを終了後にフリー作陶コースで、好きなぐい呑・舟得利の作陶に取り組んだが・・・

 酒好きの酒器づくりはむつかしかったなぁ、フリーで1年を経由して作陶を断念した結果、出来損ないのぐい呑の山と舟得利は、ほとんどを廃棄処分にしほんの10余ばかしを手元に残している。なぜ止めてしまったかはロクロ技術に限界を感じたからだ。

 ロクロ3年というが基礎コースとフリーの2年半に、週1回に満たないのロクロ成形では習熟は不可能だ。椀型のぐい呑はなんとか整形できるが、その口をすぼめて徳利をつくるむずかしさ。せっかく椀型に厚みを均一に成形してから、口を絞ると厚みに差異ができてしまう。

 壺・瓷類は成形時に陶土の内側にヘラをあてがい、外側の手のひらと同調させて厚みを平準化する。これが最後までうまくできなかって、最後にヘナクシャと崩してしまう。また、やゝマシに整形した得利を半乾燥させ、ロクロで外側をカンナ削りをするが、中が見えないためケズリ不足やケズリすぎばかり。

 底も削るが中が見えないので厚みが判らない。職人は時々ロクロを止めて器の底を指ではじき、その音で厚みを感じるというが、その技こそロクロ3年・ケズリ3年の手練の業。こりゃアカン、毎日やって6年かかるのを週一2年じゃできまへん、で、へこたれてしまいましてん・・・

丹波立杭焼入門教室
立杭手びねり舟徳利
壺屋焼陶芸道場記


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2017年05月26日

那覇空港2000万人超

那覇空港2000万人超
昨年度の那覇空港旅客数、2000万人突破
予測超える大幅増 LCCが押し上げ



 国土交通省大阪航空局がまとめた2016年度の那覇空港の旅客数(速報値)が前年度比8・0%増の2003万6318人となり、5年連続の増加で初めて2千万人を突破したことが分かった。

 入域観光客の好調な推移や格安航空会社(LCC)の就航増が押し上げた。那覇空港の第2滑走路増設事業の環境影響評価書は、最大の利用を見込んだ上位ケースで2030年度に1928万人に達する需要予測を前提としているが、実績は予測を大きく上回る推移を見せている。

 那覇空港を利用した旅客数は、国内線が5・7%増の1695万4819人、国際線が23・2%増の308万1499人となり、国内、国際線ともに増加した。特に国際線の旅客数は09年度に30万3046人だったのが、7年で10倍と急増している。

 貨物の取扱量も4・4%増の約41万7077トンとなり、過去最高を更新。内訳は国内線が0・7%減の22万472トン、国際線が10・6%増の19万6604トンだった。国際貨物は、全日空の国際物流事業が始まる前の08年度は1809トンにすぎなかったのが、100倍の規模に拡大している。

 一方、沖縄総合事務局と大阪航空局が13年に策定した環境影響評価書では、将来の航空旅客数について上位・中位・下位にケース分けして需要を予測。2010年度の1423万人を起点に、2020年度に最少1575万〜最大1748万人、2030年度に最少1605万〜最大1928万人の結果を示していた。

 国土交通省は那覇空港に2本目の滑走路が完成した後の処理容量(滑走路に発着できる能力)は年18万5千回になると試算しているが、発着回数の実績値も15年度で約15万7千回まで増加している。

 経済界には、今後も那覇空港の利用が拡大を続けると、増設後の早いうちに滑走路発着が飽和状態に陥りかねないといった指摘があり、増加する航空需要に対応した那覇空港の機能強化を求める議論に拍車が掛かりそうだ。
(5/23 琉球新報)





【酔駄言】☀ 24>27℃/83>65%/0mm/30mh/27℃警戒 : 熱中症を警戒しながら徒歩で病院を往復

 沖縄への旅客数はいろんな数字が報じられている。昨年の入域観光客は877万人(国内:664/海外213万人)とか、県は2020年には1850万人を達成したいとか、観光業界は1200万人を達成したいとか。本文の空港利用客数は昨年度2000万にを超えたというが、どれが正しい数字か判らない。

 仮に本文の記事で計算すると1ヶ月あたり167万人、1日あたり5.5万人になるが航空機1機で150人とすると、360機/日になるということは12時間とすると30機/時、これは2分に1機が着陸していることになる。那覇空港のキャパシティでは考えられないので、ちょっと眉唾かもしれないよなぁ・・・


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2017年05月25日

明治の赤瓦古民家

明治の赤瓦古民家
明治の記録残る築116年の赤瓦民家 名護市で最古
貴重な法事台帳なども残る



築116年の赤瓦古民家「東ん門小」と羽山英人さん
 沖縄県名護市我部祖河にある古民家「東ん門小(あがんじょうぐゎー)」は、1901(明治34)年に建てられた。市文化財保存調査委員の岸本林さんによると、赤瓦民家としては市内に現存するもので最も古い。100年以上前に作成された法事日程台帳なども保管されており、岸本さんは「東ん門小には新築祝いをした当時の書類が残されている。家屋も古いが、明治時代の諸台帳があることはとても珍しい。大変貴重です」と絶賛する。
 屋根には煙を排出するための穴が3カ所工夫されている。正面の軒柱「ぱぎぱやー」が5本。屋内の柱にはイジュ、仏壇にはチャーギ(イヌマキ)が使われている。>br>
 また、屋敷囲いのフクギが1894年に植樹されたと記された石や、1901年の棟上げ「首尾祝」台帳、04年に作成された法事日程台帳なども保管されている。

 東ん門小は新城家2代目の故・新城吉次郎さんが43歳で建てた。孫の故健三さんが84歳で他界する5年前まで住んでいた。現在は健三さんの長女竹美さん(61)の夫・羽山英人さん(64)と、竹美さんの弟正司さん(52)らで風の入れ替えをし、仏壇を守っている。

 小さい頃によく遊んだという近所の平良功さん(82)は「母屋のそばには便所と豚小屋が一緒になったフールがあった。子どもたちは皆ここで遊んでいたよ」と笑顔で話した。

 羽山さんが健三さんに聞いた話では、45年4月から7月まで具志川や名護の人が80人ぐらい疎開していたという。羽山さんは「10年前から老朽化が激しくなっている。雨漏りも目立って、屋根にはススキも生えている」と話した。
(5/24 沖縄タイムス)





【酔駄言】(☂>)☁>☁>☁ 24>27>24℃/93>75>79%/1.5mm/5mh/28℃警戒 : 明け方の小雨で湿気↑

 壺屋は那覇と首里の中間の鄙びた陶村だったので、昭和16年の旧那覇市内が全滅した10.10空襲を免れ、さらに翌年の米軍上陸前の地形が変わる艦砲射撃にも晒されず、旧日本軍の参謀本部があった首里の掃討戦もかすめただけで、戦前の陶村の面影を今にとどめているという。

 しかし、戦後に収容所からの復帰を真っ先に許され、周辺に蝟集した闇市の発展と近代化に影響を受け、建物のほとんどはモルタルの平屋根に替わった。だから戦前の赤瓦屋根の琉球民家はほとんど姿を消し、重文の新垣家拝領屋敷の他、戦前からの赤瓦民家は2〜3家を残すのみとなっている。

 幸い道路行政が遅れ裏通りは戦前の面影をと止めている。壺屋の町並みはやちむん通りを除いて戦前の地図とほとんど一致していて、屋敷を囲った琉球石灰岩の石塀が今も往時の面影を偲ばせる。だが、各地の陶芸卿のような鄙びた佇まいは残念ながらない。なにしろ戦後の那覇の中心街に位置しているからでもあろう。


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2017年05月24日

県鳥、県花が共演

県鳥、県花が共演
沖縄の県鳥、県花が共演 ノグチゲラとデイゴ 国頭


 絶滅危惧種で国の特別天然記念物に指定されているノグチゲラが、デイゴの蜜を吸う姿を写真家の山城博明さん=南風原町=が15日、国頭村内で撮影した。

 ノグチゲラは県の鳥に、デイゴは県の花に指定されている。ノグチゲラは世界で本島北部のやんばるにだけ生息する固有種。

 国頭村の森ではノグチゲラや国の天然記念物のヤンバルクイナなど、やんばる固有種の鳥たちが子育てにいそしむ季節を迎えている。
(5/16 沖縄タイムス)





【酔駄言】☁>☁>☁ 24>28>24℃/86>66>90%/0mm/15mh/29℃厳戒 : PM湿度↓温度↑夕方エアコンOFF。昨夜はエアコンOFFで寝たが、夜中に蒸し暑くなりONにして今夕まで点けっぱなし。AMに日照はなかったが熱中症指数が厳戒になる前に、野球帽を被ってコンビニへ電気/ガス代を支払いに行った。

 わずか100〜200m先への外出だったが脚にだるさを感じた。ひところより歩けるようになったし、息切れも起こらずゆっくりながら休憩なしで歩ける。ということは呼吸器の症状は改善しつつあるが、脚力の戻りが遅く運動不足を痛感している。毎日、やちむん通り/スージーグワァーを散歩したいが・・・


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