2015年02月15日

St.View-ani:中山道「妻籠・馬籠宿}



 「馬籠宿」(まごめじゅく)は中山道43番目の宿場 (中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。かつては長野県木曽郡山口村だったが、2005(平成17)年に山口村の越県合併で岐阜県中津川市に編入された。

 石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。

 1895(明治28)年と1915(大正4)年の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。

 宿場のほぼ中間地点に旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。天保14(1843)年の中山道宿村大概帳によれば、馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人であった。



 「妻籠宿」(つまごじゅく)は中山道42番目の宿場 中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町の蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高い。

 経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年に国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。

 天保14年(1843年)の中山道宿村大概帳によれば、妻籠宿の宿内家数は31軒で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒で宿内人口は418人であった。

 脇本陣奥谷(おくや)は1877年の建築、それまで御禁制だった木曽桧を豊富に使った重厚な構造。代々脇本陣を務めた林家住宅を南木曽町が借り受けて公開している。





【酔戯言】(21:30-) 太陽 13/19℃ 7m 30分/h 0mm : まだ平年より1〜2℃低いが日中は春めいて…

 昔は江戸から京(伊勢)に上り西国に下るには、最短ルートである海側の東海道を使った。京都まで五十三次/ 53の宿場があったが、平均して2週間ぐらいの上り旅だったらしい。約500kmなので割り算すると1日平均で約30kmも歩いたようだ。夜明けに出発し日暮れに宿に着くまで10時間なら時速3kmだ。

 東海道でなく山越えの中山道を選ぶ人々もいたようだ。甲州・信州から越路(北陸)や美濃・飛騨へは距離的には近い。妻籠・馬籠を通る旅は上信越からのお伊勢参りだろう。江戸から京・西国へ下るのに中山道を選ぶ人は、経由地に要件があるか時代小説のようにワケありの旅人だった?

 西国の大名たちは奈良から鈴鹿超えで桑名にいたる、東海道を使って参勤交代をするのが常識なので、中山道経由の参勤交代は考えにくいので、馬籠・妻籠宿に本陣や脇本陣があったというのは? 馬籠・妻籠では馬籠が藤村記念館が本陣で戸数も多いが、妻籠の方がSt.Viewでは宿場風情が濃い… (22:30)


posted by まな兵衛 at 17:18| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | V.Trip | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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